山の麓では、様々に異なる地域があり、

様々に多様な価値観がある。

 

 

だが、、、

 

 

山を登って行くと、

違う地域や違う価値観の場所から

登ってきた人達と出会う。

 

 

話してみると、

共通する部分を発見する。

 

また、同じものを求めて来たことを知る。

 

 

だからこそ、同じ場所で出会う。

 

 

さらに登って行くと、

理解できないと思っていた価値観のエリアからも

登って来た人と出会うことがある。

 

 

話してみると、意識が上がると、

同じものを求めていたことに氣付く。

 

 

素晴らしい景色を見て、

素晴らしいと感じることは同じ。

 

 

だだ、、、

 

 

表現の仕方や受け取り方の違いで、

言語化したものが異なり、

別のものだと思っていたことに氣づく。

 

 

 

さらに上に登って行くと、、、

 

 

 

人が作った人工物が無くなり、

大自然の美しさだけになる。

 

人は、自然に感謝する。

 

 

 

さらに登ると、、、

 

 

 

世界は1つの大きな山だったことに氣づく。

 

 

別々に思えた山も、

結局、上に登ると繋がっている。

 

 

 

麓では、エリアの境界を争ったり、

価値観の違いで争ったりしている。

 

争わないと、自分達の安全が

脅かされるとも考えている。

 

 

 

上に登って高いところから俯瞰してみたら、

つまらないことで争っているのが見える。

 

 

意識をどんどん高めて行くと、、、

 

 

なんで争って、傷つけあっているのか?

なんで争って、豊かな自然を壊しているのか?

 

 

おかしなことをしているのが、

見えてくる。

 

 

 

上に登れば、奪い合う世界ではなく、

分け与え合う世界になってゆく。

 

 

争う意味もなくなる。

 

 

綺麗な水も、空気も

大自然の豊かな幸も自由に手に入る。

 

 

 

 

 

1万年も前の時代は、自然の恵みが豊富で、

必要な分を必要なだけ取れば良かったから、

現代のように貧富の差もなく、大きな争いもなく

世界は平和だったらしい。

 

 

その時代と、現代を比べると、

科学技術の点では、別世界と言えるほど進歩して

便利に豊かになったと言えるが、、、

 

 

果たして、心の部分を比べたら、

僕たちは幸せになったのだろうか?

 

 

ぜんぜん進歩して

いないのではないだろうか?

 

 

もしかしたら、進歩するどころか

退化している部分もあり、

幸せを感じる純粋な感性が、汚染され

毒されてしまっているのではないかとさえ思う。

 

 

 

山に登ると、

どこから登っても、

山頂で出会う。

 

 

 

この世界は、1つの大きな山。

 

 

登って行けば、

様々な場所から登って来た人とも

1つになれる。

 

 

 

自然に感謝する感性も

必然的に豊かになってくる。

 

 

 

そしたら、、、

 

 

 

世界は平和な場所になる!!

 

 

 

 

ロンズー

 

追申:

都会にいても、

近くの公園に行ったり、、、

 

自然を感じる場所に

足を運んでみるといいかも。。。

 

できれば、自然豊かな場所に

旅行できるといい。

 

ありがたいことに、僕は、

沖縄の恩納村に移住できて、

自然に感謝する感性が高まった。

 

 

純粋に、太陽に感謝したり、

海の海水に感謝したり、

山の木々に感謝するようになった。