骨折してるから、

嫌でも痛みと向き合うことになる。

 

2週間以上経ったので、くしゃみをしても、

激痛が走ることはなくなった。

 

 

それでも、腰が痛くて

座っていられなくなったり、

立っていられなくなったりする。

 

 

酷い時は、神経の関係なのか

骨折している場所と違う場所に

痛みが走ることがある。

 

 

痛くてたまらない時は、

痛み止めを飲み、湿布を貼って、、、

 

 

 

痛くならない姿勢を探り、

痛くならない意識を探る。

 

 

 

必然的に、

身体の内側に意識が向き、

内観することになる。

 

 

 

 

そして、、、

 

 

 

 

氣づいたことがある。

 

 

痛みと闘うのではなく、

痛みをメッセージだと受け入れて、

共存する方法を考えると、、、

 

痛みは激しさを増すことを辞め、

和らいで行き、やがて落ち着く。

 

 

 

 

 

 

そんな身体の痛みとのやりとりを、

四六時中続けていたら、、、

 

 

いろいろ氣づくこともある。

 

 

 

 

自分の情緒と痛みとが

密接に関係していること。

 

 

 

 

痛みから解放されるために、

感謝する事が大切であること。

 

 

 

 

 

 

ここからちょっと、

スピリチャルなことを書くから、

苦手な人は読まないでね。。。

 

=====【注意】神秘的な内容=====

 

 

人が痛みを感じている時、

過去の何かと関連づいた時、

痛みの度合いが強くなっていると思う。

 

 

つまり、、、

 

 

なんらかの身体的な要因に、

心理的な要因が重なると、

痛みが生じる。

 

時には、心理的要因が99%で、

痛みが生じてくる時もある。

 

 

その場合、

心理的な要因が解決されると、

痛みも消える。

 

 

時には、

動かなかった部位が

動くようになる。

 

 

 

 

激痛が走り、寝返りが打てなかったのが

痛みが和らいで来た要因もあると

思うのだけど、、、

 

手当して氣を送り、凝り固まった想念を

手放して行くと、楽にできたりする。

 

 

身体には、

まだまだ解明されていない

不思議な可能性がある。

 

 

 

 

ちょっと、

飛躍したことを言うと。。。

 

 

 

 

自分を守ってくれている、

見えない存在に感謝する

楽になる。

 

 

 

 

どうやら、守護してくれている

見えない存在は、当人には知られず、

もの凄く応援してくれたり、

サポートしてくれたり、

守ってくれている。

 

 

 

なのに、、、

 

 

 

僕らは、

”見えない存在”

氣づいていない。

 

 

 

もし、自分が守護している側だったら、

全く存在を感じて貰えないのは、

はりあいがないし、悲しいよね。

 

 

 

やっぱり、、、

 

 

感謝されると、

嬉しいよね。

 

 

 

だったら、

感謝した方がいいよね。

 

 

 

 

 

守護してくれている

見えない存在。

 

 

人は、それらを、

 

「守護霊」

「守護神」

「神」

 

と、呼ぶ。

 

 

そう呼ぶと、尊さから

距離感を感じるかもしれないが、、、

 

 

実は、どうやらその見えない存在は、

僕らが思っているよりも親しみやすく。

 

 

氣軽に話しかけることも

できるらしい。。。

 

 

 

 

ならば、、、

 

 

 

 

存在を認め共存し、

協力しあった方がいい。

 

 

 

時には、重要なメッセージ

いつまでも無視していると、、、

 

身体の痛みを伴って伝えて来る。

 

 

 

僕が、骨折をして、

学ばされているように。。。

 

 

 

 

まずは、

感謝することから

始めてみよう!!

 

 

 

 

ロンズー

 

追申:

遠い昔は、もっと普通に

”見えない存在”と交流できたのだと思う。

 

それも、自然界の至る所に”神”がいて。。。

 

 

動物とも、会話できたのだと思う。(^ ^)