去年のクリスマスは、リサと喧嘩して、

一人で過ごすところだった。


 

結果的には、リサが壱岐に会いに来てくれて、

仲直りした。

 

その時、住んでいた家の前で撮影した写真がこちら。

 

その時の家は、さやちゃんから借りていた。

 

懐かしい!!

 

 

 

 

今年の僕たちは、常に一緒にいる。

 

 

一緒にいる期間は、

もう、2ヶ月以上になる。

 

 

沖縄での生活は、馬や鶏やヤギがいて、

リサの大好きな子犬も増えた。

 

 

最近になって、リサは野菜作りにも

はまり始めている。

 

 

 

なんの贅沢もしていないが、、、

 

動物に囲まれ、自然と触れ合い、

採れたての野菜や卵を食べる生活に、

魂レベルから、幸せを感じている。

 

 

 

こんなふうに幸せであることを、

自己開示しようとすると、、、

 

 

心のどこかに、罪悪感が沸く。

 

 

 

「実は、僕たちも大変なんです。」

 

って、幸せ感を隠そうとする心理が沸く。

 

なんでだろう??

 

 

 

 

これって、日本人だからなのか、、、

 

「自分だけ、

 幸せになってはいけない。」

 

って、教育されたからなのか、

あまりにも幸せだと罪悪感が沸く。

 

 

 

 

 

でも、、、

 

 

 

 

 

幸せを感じることができるかどうかは、

根本的には、自分の内側での

受け取り方でしかない。

 

 

 

もし、僕たち二人と同じ環境に置かれたとしても、

幸せを感じることができない人もいると思う。

 

 

 

僕が幸せを感じるのは、

 

「リサが○○をしてくれたから、

 幸せに感じる。」

 

 

とか、

 

 

「○○が○○だから、

 幸せに感じる。」

 

 

とか、外部的な条件によって、

幸せ感を得ているわけではない。

 

 

 

僕の中で、

幸せだと思えるから、

幸せなのだ!

 

 

 

ある意味、外的条件は関係ない、

僕の中で、幸せだと

意味づけているだけでしかない。

 

 

 

 

 

多くの人は、メディアに心理操作され、

○○を手にいれるのが「幸せな生活」だと

刷り込まれて、、、

 

○○を手に入れていない自分は、

不幸せだと考えてしまう。

 

 

 

これって、、、

 

 

○○を手にしていない、自分を

自己否定することから始まる。

 

 

 

自己否定が歪むと、

嫉妬や拗ねなどの心理が生まれる。

 

 

 

まずは、ありのままの自分をOKにすると、

なんにもなくても幸せを感じれるようになる。

 

「なんにもない!」

 

って、思える状況でも、

感謝できることにフォーカスすると、

たくさんの感謝の氣持ちが湧いてくる。

 

 

 

今、生きていること。

雨風から守られてベットで寝れること。

 

今日も、食べ物があること。

 

呼吸ができること、歩く事ができること。

 

 

すべてに感謝ができる。

 

 

 

 

 

そうやって、現状に満足をして、

今の自分にOKを出し、

 

そこから、、、

 

自分の好奇心にもOKを出し、

 

やりたいことを、

自分自身にさせてあげることにも、

OKを出してゆく。

 

 

 

 

誰と比べるわけでもなく、

自分の中の価値観に従い、

比べるなら、過去の自分と比べて、

成長、進化している自分を感じる。

 

 

 

 

そうすると、、、

 

 

 

 

どんどん幸せを感じやすくなる。

 

 

 

 

世界的な富と名声を得た人物が、

幸せを感じられないと嘆いている事例も、

実際にあるのを見ると、、、

 

 

幸せかどうかは、自分の内側で、

視点を切り替えるだけでしかないかもしれない。

 

 

 

また、現状がどうあるかよりも、

未来に向けて希望が持てるかどうかの方が

重要だと言える。

 

 

 

未来に希望が持てるかどうかも、

結局、自分の意識の持ちようで決まる。

 

 

ロンズー

 

追申:

今日は、クリスマスイブ。

 

メリハリを持って、

何か特別なことをするのもありだね。