いまでこそ、

坂本龍馬の名前を知らない人はいないくらいだが、、、

 

その有名になった驚きの理由を知って

あらためて坂本龍馬を精神世界の視点から

「人神」とも思えるようになった。

 

 

 

 

坂本龍馬は、維新後忘れ去られてしまっていた。

名を知るのは、一部の土佐人ぐらいだけだったらしい。

 

 

 

ところが、、、

 

 

 

龍馬がこの世を去って37年後、

日露交渉が断絶した明治37年2月6日

 

ある不思議な出来事によって

龍馬は日本全国の人に知られることとなった。

 

 

それは、、、

 

 

その当時の皇后が、日本とロシアとの海軍力の明らかな差に深憂し

神経を病まれるまでになり、葉山御用邸に避寒中だった時

夢枕に白装の武士が現れた。

 

彼は夢の中で次のように語った。

 

「微臣は、維新前、国事のために

 身を致したる南海の坂本龍馬と申す者に候」

「海軍のことは当時より熱心に心掛けたるところにござれば

 このたび露国とのこと、身は亡き数に入り候えども

 魂魄は御国の海軍にとどまり、いささかの力を尽くすべく候。

 勝敗のこと御安堵あらまほしく」

 

と言い武士は消えたという。

 

 

その夢を見た時の皇后は、坂本龍馬の名前も知らなかった。

 

 

そして、翌朝、皇后は香川敬三に

「坂本龍馬とは、いかなる人物か」と聞いた。

 

その時は、なぜ聞いたかは言わなかったとのこと。

 

ところが、次の7日の夜も白装の武士が夢枕にあらわれたので

香川敬三にそのことを打ち明けた。

 

香川は、それを聞いて、元陸援隊の副隊長だった

田中光顕に連絡した。

 

すると、田中は、龍馬の写真を香川に送った。

 

香川は、その写真を女官を通じて皇后の部屋の片隅に置いておくと

それを見つけた皇后は、あわただしく香川をよび

 

「この人である。」と言われた。

 

なで肩で、桔梗の紋まで同じだと言った。

 

 

この話は、「皇后の奇夢」として

新聞にも載った。

 

 

これによって「坂本龍馬」の名前は

一躍有名になった。

 

 

そして、翌年の1905年5月27日、

世界最強の艦隊とも言われたバルチック艦隊に勝利し

日露戦争における日本の勝利を実質的に

決定付けた海での戦いとなった。

 

 

この話を知るまで、龍馬は司馬遼太郎の

「竜馬がゆく」で有名となったと思っていた。

 

 

この話が本当かどうかは、分からないが、、、

 

 

元陸援隊の副隊長だった田中光顕は

この世を去るまで、本当だと言い続けたとのこと。

 

 

この話を知って、左脳的にも

勝利を信じて取り組むことの重要性を感じた。

 

 

もし、あなたが、何か実現できるか不安なことに

これから挑戦するとしたら、見えない力を信じて

士気を高め、思い切って挑戦することが

成し遂げたいことを実現する秘密だと思う。