「なぜ、こんな仕事をしなければならないのか?」

 

って考えたことはないだろうか?

 

生きがいや喜びを感じない

無駄ではないかと思う作業や

山積みの書類のチェックなど。。。

 

効率化を求められ、短時間に多くの仕事を

休みなくすることを強制される。

 

 

そのうち、その”忙しさ”に

 

「心」を「亡くし」

 

精神が病んできてしまう。

 

 

それでも

「お金が無いと生きられない。」って

不満が限界になっている状態から嫌でも抜けられない。

 

 

 

今の社会は、、、

 

 

 

生命が生きるのに必要のない作業が

社会システムが複雑化することによって

どんどん生み出されている。

 

 

生きるってことは、

もっとシンプルなはず。

 

 

やらなくても良いことが増えていないか?

 

 

それによって、本当に必要な愛を感じる時間や

大切な人間関係が失われていないか?

 

 

 

「それって、おかしくないか?」

 

 

 

あなたは、今まで、そんなことを

真剣に考えたことがないかもしれない。

 

 

実は、僕だってそうだった。

 

 

良い大学行き、良い会社に勤め

言われたことを忠実に行い、なんの疑いもなく

家に早くは帰らず、誰よりも遅くまで働くのが

素晴らしい生き方だと思っていた。

 

 

だって、日本の教育は、スーパー従業員を育てる目的に

戦後、意図的に変えられてしまったから。。。

 

先生や上司が言ったことを、なんの疑いもなく忠実に従い

いかに効率的に、いかに正確に処理するかが

求められて生きて来たから。。。

 

 

人と違うことを考えたり人と違うことをするのは

”不良”とされ、最悪は退学処分や退職処分にされた。

 

 

その恐怖感が潜在意識に刷り込まれているので

 

 

「お金が無いと生きられない。」

「何か仕事をしないとお金が得られない。」

「仕事しないと生きられない。」

 

 

って信じている。

 

 

「本当だろうか?」

 

 

人間以外の野生の生き物は、

仕事してお金を稼いでいないのに

しっかりと生きている。

 

飼い猫だって、いざとなれば

”自然”の中で自由に生きてゆける。

 

 

人間だけが、”仕事”をしている。

 

 

「おかしくないか?」

 

 

僕は、けして働くことを否定するつもりはない。

 

お金を貰わなくても

人のためにやりたいことがあれば

夢中でやっていいと思う。

 

 

だって、それは生きがいを生むから。。。

 

 

そして、そこから莫大なお金や

富を得ることも大賛成である。

 

 

ただ、、、

 

 

「お金が無いと生きられない。」と信じ

 

苦しんでいる状態にいるのなら

そこから抜け出すことができると伝えたい。

 

 

 

 

実際、僕は「仕事」をしていない。

 

 

働かなくても、贅沢をしなければ

生きてゆくことができる。

 

 

でも、何もしてないかというとそうではなく。

 

 

”好きなことをヤル”ために

これ以上は予定が入れられないくらいに

活動して回っている。

※ちょっと多すぎで整理が必要だけど。。

 

 

それによって、報酬も貰っていたりするけど

僕の意識の中では、「仕事」とは思っていない。

 

 

もし、それを「し・ご・と」と呼ぶなら、、、

 

 

「仕事」=「志事」

 

 

だろうか。

 

 

 

または、、、

 

 

「しごと」=「私事(プライベート)」

 

さらには、、、

 

「私事」=「遊び(プレジャー)」

 

 

かもしれない。

 

 

 

そんなことが出来るのも、ある時期、必死で取り組んで

経済的な”自由”を得ているからなんだけど。。。

 

 

それも、おかしな話しだ。

 

 

地球上の生き物は、”人(ヒト)”も含めて

もっとシンプルに生きて行くことが可能なはずなんだ。

 

 

僕は、そう思う。

 

 

 

特に、お金が無くても

生きるだけの健康に良い食物は

”自然”から必要なだけ手に入るはずだと思う。

 

 

僕は、壱岐での生活で、その感覚を体感した。

 

 

 

”自然”豊かな海から、

美味しい魚介類を獲ることができる。

※漁業権が必要

 

”自然”豊かな山から、

美味しいジビエ食材や蜂蜜を獲ったり

木の実や山菜やタケノコを採ることができる。

※ジビエは狩猟免許が必要

 

 

それを分け与えることにより

別の食材が手に入る。

 

 

漁船や猟銃を使うのは、経費がかかるが

極論、”自然”にあるのものからでも道具は作れる。

 

 

生きて行くのに必要な食べ物は

本当は、”自然”から”無料”で手に入る。

 

 

 

 

 

でも、、、

 

 

 

それが出来ない現実がある。

 

 

 

なぜだろうか?

 

 

それは、、、

 

 

世界で”不自然”な社会システムが

出来上がってしまったからだ。

 

 

世界で生産される食糧は、地球上の全人類が

生きて行くのに十分ある。

 

その内、3分の1の13億トンが捨てられる。

金額にして9兆4千億円分だそうだ。

 

なのに、9人に1人は食糧不足で栄養失調にある。

その数、7億9千万人。

 

世界で捨てられる食糧の4分の1があれば

その飢えた人々を救うのに十分であり

1億人ぐらいの余裕がでるくらいだそうだ。

 

地球温暖化の原因の二酸化炭素の排出も

全体の8%が廃棄処分の食糧が起因している。

 

食糧の浪費をなくすことで、年間460万トンの

二酸化炭素を排出しないことができる。

 

 

もっと、身近な例を出すなら、、、

 

 

あなたが、ハンバーガーを食べられずに1個残して

投げ捨てたら、90分のシャワーで使う同じ量の水を

汚染することになるくらい環境を破壊している。

 

 

おかしくないだろうか?

 

 

でも、そんなこと氣にも留めずに

”不自然”な生活を日々送っている。

 

 

そんな無駄になる食糧を活用したら

無料のスーパーが経営できるのに。。。

 

 

そんなことを考えていたら、、、

 

 

すでに、実現していた!(驚)

 

 

世界は広い。

 

 

そのスーパーの名前は、

オズハーベストマーケット

 

 

食糧の浪費問題と生活に困っている人の

食事提供を支援を目的に立ち上げられた。

 

営業時間は平日の朝10時から午後2時まで

スタッフは全員ボランティアで、

特に近くにある大学の学生が多く働いている。

 

レジが無いレジカウンターに行って

自分で持って来たエコバックに食品を入れてもらい

最後に募金箱に自分の好きな金額を入れる仕組み

 

寄付金は食事提供事業の費用にあてられる

 

 

 

 

お店に並んでいる商品は

カンタス航空や大手スーパーのウールワースなどから提供された

賞味期限間際の商品が多いとのこと。

 

シドニー以外の主要都市、ブリスベン、メルボルン、アデレード、

ゴールドコースト、パースにもある。

 

毎日150人ほどが来店し、約2千点の品物の大半はなくなる

 

なぜ?無料でできるのかというと。

 

・賞味期限切れ前でも処分されてしまうような食品を

 大手スーパーなどから譲り受けているから。

・非営利団体による運営

・代金の代わりに寄付を募っている。

 

 

 

 

 

さらにこの組織が行っているのは、スーパーだけでなく。

 

新しい教育プログラムがあり、実践的な料理の方法を教え

子ども達に持続可能性、食物浪費、栄養について教えている。

 

 

飢えから解放され

無駄な食べ物を無駄にしない世界を築く

というビジョンを具現化している。

 

 

さらには、、、

 

 

 

 

フードトラックも行っているのが興味深い。

 

1ドルごとに必要な人に2食を提供し、目標は

1年でフードトラックで年間2万人以上のお腹を満たすことらしい。

 

 

また、オズハーベストの主力募金イベントがあり、

活動を支援するための資金を調達するために

オーストラリアのトップシェフとチームを組んでいて

 

5年間で約5億円を調達し、必要な人々に1000万食を提供し

栄養、教育、ホスピタリティの訓練プログラムを拡大したとのこと。

 

 

 

この内容に刺激をして、日本でもやったら良いのにと思って

仲間内でシェアしたら、、、

 

 

日本でも、すでにNPO団体があると

仲間のひとりから情報を貰った。

セカンドハーベスト・ジャパン

 

 

2018年の4月に認定になったとのこと。

 

やっぱり2018年はどんどん世の中が変わって

面白くなってくる感じがする。

 

 

「無料のスーパー」って

今までの常識の範囲だったら不可能なのに

その不可能が可能になっている現実がある。

 

これも、情報格差がなくなった

いまだからこそだと思う。

 

 

この仕組み、小規模なら伊勢で行っても

面白いのではないかと思えて来た。

 

 

やりたいことがいっぱいだ。