収入と幸福度は比例すると思われているけど、、、

 

必ずしも、そうなっていない現実。

 

 

便利になったら幸福度はあがるかというと、、、

 

これも、必ずしも、そうなっていないと

周りの様子を見ていて感じる。

 

 

働かなくても、食べて行ける”経済的な自由”を得たら

幸せになれるのかと言うと、、、

 

 

これも、生活のスタイルを変えると

下手すると鬱(うつ)になってしまう可能性さえある。

 

 

事実、僕は、有難いことに、働かなくても

派手な贅沢をしないかぎり生活することは可能になった。

 

 

 

多くの人が憧れるかもしれない

「経済的、時間的、場所的”自由”」を

手に入れることができた。

 

 

でも、、、

 

 

氣をつけないと、何もしないで

ゴロゴロ寝てる日々を過ごしてしまう。

 

そんな日々を過ごしていると、(僕の場合は)

人生を無駄に過ごしている状況に自己嫌悪を感じて

どんどん病んでくる自分自身を感じる。

 

 

これは、僕が実際に体験して得た感覚なので

全ての人にとっての正解ではないけど、、、

 

 

僕の場合は、何かに向かってエネルギーを注ぎ

自己成長を感じていないと”幸福感”が得られない。

 

 

 

骨折と肉離れをして、しばらくサボっていた

武術の稽古を、朝早起きして再開してみたら、、、

 

意外なことに快感を得ている自分を発見して驚く。

 

 

汗が噴き出し、額から首筋を通り

道衣の内側を流れてゆく状況に

充実感と快感が溢れて来た。

 

 

ある意味、「変態」かもしれない。笑

 

 

ただし、このような感覚がないと

生活にメリハリができず、すっきりしない。

 

 

思いっきりお腹が空いたあとに、食事をしたら美味しい。

汗をかいて喉が渇いた時に、飲んだものは特別美味しい。

 

 

それと同じで、思いっきり体を動かして息が上がった後

床に横になって、リラックスして苦しい息を整える時間は

何もなくても究極とも言える”幸せな時間”になる。

 

 

そんな時間を味わいながら、

「幸せってなんだろう?」って考えてみた。

 

 

そして、、、

 

 

もし、多くの人が望むように

「経済的、時間的、場所的”自由”」な状況を

すぐに与えたら「どうなるだろう?」

 

もし、面倒くさいことを全て自動化し

便利になってやらなくても良くなったら

「どうなるだろう?」

 

 

って考えてみた。

 

 

 

その答えは?

 

 

 

「多くの人が鬱(うつ)になるだろう。」

と結論に至った。

 

 

もちろん、

「経済的、時間的、場所的”自由”」な状況を

確立する過程で学びがあるので、当然

 

「自分の人生をどのように生きるか?」

 

の答えを、その状況にある人物は持っていると思う。

 

 

それに、”自己成長”の方法と”社会貢献”の方法も

その人物は、自分なりに明確に持っていると思う。

 

 

逆に、そうでないと

「経済的、時間的、場所的”自由”」な状況を

確立できないと思う。

 

 

だから、心配するまでもないかもしれないけど、、、

 

 

人は、いきなり自由を与えられると

数え切れない選択肢から選ばなければならない

ストレスから逆に不幸になる。

 

 

僕はそう思う。

 

 

”幸せを探求”してゆくと、、、

 

 

極論、

「お金を儲けなくてもいいんだよね。」

って思う。

 

 

「幸福度は年収に比例しない。」

から。。。

 

 

 

とは言っても。。。

 

 

 

普通に目にするSNSなどの誰かの投稿で

「リア充」な様子や豪華できらびやかに見える写真に

憧れや嫉妬心を感じて、稼げない現状に

ストレスを感じる人も多いと思う。

 

 

 

もちろん、人生を変えるために

ある時期、”稼ぐ”ことにフォーカスしてもいいと思う。

 

 

それも学びの過程だと思う。

 

 

それを通過すると、、、

 

 

稼ごうとしないことが、結果的に

稼いでしまうことになることを悟ると思う。

 

 

簡単にやろうとせず、手間をかけることが、結果的に

一番の近道で効果的な方法であることを悟ると思う。

 

 

複雑化へと向かうと破滅し

シンプルにすることが生き残る方法だと

悟るかもしれない。

 

 

もしかしたら、よく理解できないギャンブルとも思える

お金の儲かる金融分野ではなく

現実の経済活動が体感できる”実態経済”の中で生きると

決めた方が幸せになれるかもしれない。

 

 

その場合、手間がかかり儲からないかもしれない。

 

 

でも、、、

 

 

「それでも良いんだ!」

幸せを積み重ねることの方が重要だと

覚悟を決めたら楽になるかもしれない。

 

 

全ては、客観的な状況がどうであろうが

内なる世界で「幸せ」と感じれることが

できるかどうかの方が重要なのだから。

 

 

 

 

あと、人からどう思われかも

氣にする必要はないと思う。

 

 

極論、正しいか間違っているかも

時代が変わると正解が変わるってことを

歴史が物語っている。

 

 

自分自身で納得できる生き方を追求すればいい。

その方が、”幸せ”になれる。

 

 

これから、僕は、残りの人生で

成し遂げたいことに挑戦するけど。。。

 

 

ちょっと活動しはじめただけで、

すでに、大なり小なりなんらかの抵抗を受ける。

 

 

応援者も現れたけど、

批判したり否定する人もでてくる。

 

 

これも自然な流れ。

 

 

どちらの考え方も、その人の世界観では

正解であり、「正しい」。

 

 

もしかしたら、僕がこれから残りの人生をかけて

取り組むことは”悪”とされるかもしれない。

 

 

 

ゲリラ的な活動と思われうかもしれない。

 

 

 

でも、それでも良いかもしれない。

 

最初から、社会貢献のために取り組んでいるのではなく

「反社会ゲリラ活動家ブラックロンズー」って立場を名乗って

活動してもありかもしれない。笑

 

 

不思議なもんで、人は世の中から叩かれると結束し

中途半端だった氣持ちに、本氣のスイッチが入る。

 

そんな状況で、真剣に取り組めることがあるのは

とても”幸せ”なことだと思う。

 

 

他の人はどう思うか分からないけど、、、

 

 

少なくとも、僕は、「やるぞ!」って思って

困難な状況でも前に進もうと思っている時の方が

充実しているし、”幸福感”が高い。

 

 

もちろん、バランスがあって

ハード過ぎるとそれも幸福感を下げてしまう。

 

 

緩急は必要だと思う。

 

 

 

ちょっと、幸福感と一見話が変わってしまうように

思えるかもしれないけど、、、

 

 

 

武術の稽古をして得た氣づきを

一つシェアしたいと思う。。。

 

 

 

それは、稽古後に氣ついた。

 

 

稽古後に、道衣をたたむ時、たたまずに椅子にかけて

次回の稽古のとき直ぐに着れる方が、稽古時間を確保でき

効率的かもしれない。

 

 

ところが、、、

 

 

稽古により身体を鍛えることよりも、手間をかけて

道衣を氣持ちを落ち着かせて、丁寧にたたむ方が

”魂の成長”には重要だったりする。

 

 

つまり、術を磨く稽古そのものよりも

”手間をかける所作”の方が重要かもしれない。

 

 

昔は、

「強くなりたい!」

「試合に勝ちたい!」

 

って動機から稽古してたけど

今は、さすがに違う。

 

 

たぶん、これから先、実生活で

武術の技を使うことは無いと思う。

 

 

ちなみに、”真剣”を抜くことは

間違いなくないと思う。

 

 

武術で”真剣”を抜くことは

相手を本氣で”切る”ことを意味する。

 

そうでなければ、逆に

自分の死を意味する。

 

だから、”絶対”に抜けない。

 

 

 

「なら、何のために稽古するの?」

 

 

 

実際には使わない”術”を

真剣に稽古する意味って何?

 

 

「女性にモテたいからでしょ。」って

言われることがある。

 

 

確かに、稽古をしていると体型は良くなるし

セルフイメージも体内のホルモンの関係も

若返るしポジティブになれるから

男性的な魅力はアップするかもしれない。

 

 

でも、、、僕の場合は

 

 

「修行」が好きなんだと思う。

 

 

武術を通じて「大和魂」に触れることが

人生を生きる意味で、糧になっているような氣がする。

 

 

また、「武道」はもともと

「道」であり生き方を伝えるものだった。

 

 

だから、最も大切なものが何かを

型を繰り返していると氣づかされてくる。

 

 

その氣づきを行動へ移すことによって

僕は、自然と共存する生き方を

徐々に意識するようになった。

 

 

武術は「自然」の動きを重要視する。

 

 

不自然に、無理やり動かそうとすると

技がかからない。

 

正面からぶつかりあうのではなく

相手の力の流れを感じて一体になることで

自分より大きな相手でも倒すことができる。

 

 

そんな武術の稽古を通じて、得た”幸福になる方法”の

僕の現時点での答えは、、、

 

 

「手間がかかり儲からない生き方の中に

”幸福への扉”がある」

 

 

 

ってこと。

 

 

さらに言うと、、、

 

自然の中で生きると手間が必然的にかかり

それほど莫大に儲かることではないけど

 

「心が自然と一体になり”生き方”をかたちづくる」

 

そんな生き方の中に”幸福への扉”あると思える。

 

 

ちょっと取り留めのないことを書いたけど、、、

 

 

少しでも、これを最後まで読んでもらえた

あなたに、「幸せ」になるきっかけになったらと思う。

 

 

結局のところ、

「幸せ」は幸せになれる外側の環境にあるのではなく

あなたの内側で「幸せ」だと思えることを

どれだけ積み重ねて行けるかってことだと思う。

 

 

「それが何か?」ってことは

あなたにしか分からない。

 

 

まずは今すぐ、あなたの内側に

「幸せ」と感じることは何か?

 

 

”検索”してみるとよいと思い。

 

すると、頭の中は

「幸せ」って感じるものが

”検索結果”として溢れてくるから。。。