鉛筆削り vol.405 「対岸の目的地」 | 毎朝宣言! 次世代サラリーマンの鉛筆削り

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次世代に生きようとするサラリーマンは、目指すべき目的地を模索し、「ブレない自分」「必要とされる自分」であり続けることが大切ではないだろうか。毎朝の鉛筆削りが「共感のチカラ」になることを願って、気づきや想いを記しています。

「サラリーマンの目覚め」をテーマに今日も更新!405日目のおはようございます。


泳いで川を渡る。

田舎で育った僕は、小さな川を向こう岸まで泳いだ経験がある。
(もちろん地元で永く子供の遊び場になっていて、事故などは起きたことがない場所)


真っ直ぐ、対岸に向かって飛び出したつもりが、気がつけば流されながら10メートル下流にたどり着くということについて、
社会人になり組織のなかにいると、その流される10メートルをいかに捉えられるかが大切なのかな、と思う。


真っ直ぐ泳ぎたかったはずなのに、10メートル流されてしまった…(残念)と捉えるか、

10メートル流されたけど対岸に着いた! …(よしよし)と捉えるか。

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もちろんそれを5メートル、1メートルと縮めていく賢さや強さがあればより素晴らしいと思うけど、

そうでなくても、流された10メートルに対する捉え方の違いが、勤務姿勢に直結するだろうし、その人の立ち居振る舞いとなり、パフォーマンスに表れるもの。


流されることを【前提】として自分自身に取り込んだ上で目的地に向かうことで、得てしてはるか上流で見失ったもの(組織の論理で過去に諦めたもの)が、ふと見えて来たりするもの。


対岸は長い。岸は一点でなく、川の流れを見送る繋がった連続的なもの。

自分らしい”領域”を持とうとして組織の中で模索をする時、描くその”領域”にだって幅があって良いはずで、だからこそ、予期しない自分らしさとそこで出会えるのだと、僕は信じる。


僕は、流れるであろう10メートルは前提として、向こう岸に向かって泳ぎ、そして泳ぎ着いた場所をポジティブに捉えていこうと思う。



『僕の人生や“日本のサラリーマン”がより幸せになることを夢みてもいいですか?』

May I dream more hapiness into mylife and “A Japanese salaried worker”?

*削りクズに愛と勇気を込めて*
 


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