成田山新勝寺
去年で、ひとこと説法が終わった?らしいので過去のを載せときます。

彼岸に想う

彼岸とは平安時代から続く日本伝統の風習で、春秋二季に、7日間にわたり仏事を営み、亡き人の供養をいたします。


彼岸の中日は昼夜の長さが等しくなり、太陽は真東から昇り、真西に沈みます。

また「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り、春のお彼岸の頃には、ようやく暖かな日差しが届き、花々が咲きほこり、桜の便りを聞くのもこの頃でしょう。


昼夜が等分となり、太陽が真西に沈むこの特別な日に、亡き人を念じつつ沈む太陽を拝すると、

この方角が
阿弥陀(あみだ)様の西方(さいほう)極楽浄土
つまり彼岸(ひがん)を拝することができると信仰されました。

私達が住むこの世界(此岸(しがん))は、迷いの世界、苦悩の世界であり、人々はこの苦しみからの解放を願い、また故人が彼の地に到って、幸福であることを願って祈りを捧げました。

もとより彼岸とは、仏の世界、悟りの世界のことであり、我々の理想の境地をあらわしております。

しかしその理想郷と現実世界の間には、大河にたとえられる大きな隔(へだ)たりがあり、その旅路は永い年月が必要とされ、往(ゆ)く人をこばみ困難を極めました。

そこを渡る方法として、はじめは一人乗りの小船が用意されました。

やがて求めに応じて多くの人々が一緒に乗れるよう、より大きく堅固な船が用意され、それによって、たくさんの人々が救われるようになりました。

しかしここで疑問が生じます。その船は一体どこで造られるのでしょうか。

それは彼岸でのことではありません。ましてや大河のただ中でもありません。

それは船の大小にかかわらず、まぎれもなく此岸において、諸々の支度も含めすべて我々が立つこの地で準備を行うのです。

備えあれば憂(うれ)い無しの言葉通り、慎重かつ充分な準備が万端に整えば、間違いなく目的地へと到達できることでしょう。

つまり準備が十全に整うならば、すなわち目標を達成したも同然、とは言えないでしょうか。

いかに日々の生活が大切か、お彼岸を迎えるにあたり想うところです。


🌙月に恋🌙

『万葉集より』

花の色は昔ながらに見し  人の心のみこそ
うつろひにけれ

(元良親王)
 
“桜花の色は昔のままなのに、その花を共に見た人の心は変わってしまったのだね”

桜花今ぞ盛りと人は言へど我は寂しも君としあらねば(大伴池主)

“桜の花は今が盛りと人は言いますが、私は寂しいです。あなたと一緒でないから”

去年 (こぞ) の春  逢へりし君に恋ひにてし  桜の花は迎へけらしも

(若宮年魚麿)

“去年の春にお会いしたあなたを恋しく思って、桜は今年も花を咲かせて迎えているようですね”

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今日の説法/因縁生起

おはようございます。

🌸桜の季節となりました。新しい季節を感じ心がウキウキする人も多いのではないのでしょうか。

しかしなかには桜の花をもの悲しく感じ、胸が苦しくなる人もいらっしゃいます。


『因縁生起』という言葉があります。


因と縁という原因や条件によって結果が引き起こされるという事を言い表した言葉です。

私たちは自ら経験したことで記憶を形作り、さまざまな感情を生じさせます。

例えば大切な人との別れは季節と一緒に記憶させるので、その季節がめぐってきた時に、悲しみや不条理さを感じるのは自然なことなのです。

ですから桜の花を見たときに感じる気持ちは、あなたの経験に基づくあなただけのもの。

心がウキウキするのも、それもよし、もの悲しく感じるのも、それもよし、と言うことです。

いろいろな感じかたがあっていいのだと思います。

桜の花を見てあなたはどう思いますか?

今日も一日あなたらしい時間をお過ごしください。

💐今日の言葉💐
『あなたの気持ち・感じ方はあなただけのもの』

🌸浄土真宗本願寺派
安楽寺 藤澤克己住職の説法でした🌸

🍀つばさ🍀
そうですよね。桜の季節に亡くなった遺族。戦時中、桜の季節に特攻隊で飛び立ったその遺族や特攻隊を見送った人々。

それぞれにとっては桜を見ると、いろいろな感情が浮かんでくるのではないでしょうか。ウキウキしたり、もの悲しくなったり。

自分でも桜はウキウキの反面、家族で花見に行ったり、入院してたとき病室から見た桜を思い少し、もの悲しい感じがします。今年も病院からかな🌸。