奥多摩湖ロープウェイといえば心霊なんですが・・次回書きます(。・_・。)ノ
廃墟としての奥多摩湖ロープウェイ
「これはとても良い廃墟。50年前とは思えない…」ルポライター村田らむが激推しする“奥多摩湖ロープウェイ”
2020.01.25
――B級スポット、樹海や禁断の土地、ホームレス取材を得意とするルポライター村田らむが寄稿!
以前、とある雑誌社から電話があり、簡単に行けて見栄えの良い廃墟的な場所はありませんか? と聞かれた。
いろいろ考えて『奥多摩湖ロープウェイ』を紹介することにした。
奥多摩湖のあたりは、廃墟が多い。ドライブイン、ラブホテル、旅館、ガソリンスタンドなどの廃墟が点々とある。奥多摩湖を観光地として見込んでいた時代に建てられたのだろうが、現実は厳しい。
『奥多摩湖ロープウェイ』は竣工したのが昭和36年だ。東京オリンピックの開催が昭和39年だから、日本の景気もガンガン上り調子の時期である。
「奥多摩湖にもオリンピックフィーバーの影響で、人がたくさん集まるに違いない!!」
と思ったのだろう。実際、オープン当初はまずまず集客したそうだ。だがすぐに客は減っていった。
奥多摩も東京ではあるのだが最西端である。新宿から奥多摩駅は2時間もかかる。なかなか2時間かけて奥多摩湖へ遊びに行こうとは思わない。
そしてオープンから3年の昭和40年には閉鎖してしまった。たった3年しかやっていなかったので、ロープウェイが動いていた当時の写真はあまり残っていない。
むしろ廃墟&心霊スポットになった今のほうがずっとたくさんの写真が残っている。
そうして閉鎖したロープウェイ乗り場は、半世紀に渡り放置されてきた。
ロープウェイの支柱が建つ場所は駐車場になっている。支柱も何も知らない人が見たら、
「古びた送電線だな〜」
その駐車場には、トイレが併設されているのだが、おそらくロープウェイと同時に建てられたのであろう、かなり老朽化していた。コンクリートはボロボロ、タイルは割れ、鏡は半分以上が映らなくなっていた。
道路沿いにロープウェイに登る階段があった。こちらも50年の歳月が経ち苔むしてかなり味わいが出ている。
すぐに、老朽化した建物が現れた。
窓ガラスはすべて割られていた。
さらに登ると、ロープウェイの駅なのを確認することができた。
手書きで『みとうさんぐち』と書かれている。漢字で書くと『三頭山口駅』である。対岸にあるもう1つの駅は『かわの』である。漢字で書くと『川野駅』だ。
そして看板の前にはロープウェイの車両が停まっていた。山の廃村などに行くと、古いボロボロの自動車がよく転がっている。個人的には哀愁が漂っていて好きなモチーフなのだが、ロープウェイの車両はレアな価値もつくのでよりテンションが上がる。
たった3年しか運用されなかった車両だが、それだから逆に50年後の今もここにある。車両はロープにつながれて現在もしっかり空中に浮いていた。よくも下に落下しなかったものだなと少し驚いた。
柔らかい壁のほとんどは殴られ穴があき、便所の小便器も叩き割られていた。スプレー缶でそこら中に落書きがしてある。
荒れているのは外部の侵入者によるイタズラのせいだけではなかった。建物の裏にある山肌が崩れ土砂が建物の中に入り込んできていた。
2020年に東京オリンピックが開催されるが、今回も浮足立って変な施設を作って欲しいものである。3〜4年もすれば廃墟になって、心霊スポットになって、いい感じに育った頃に取材してトカナに書いてぜにこを儲けるのである。
文・写真=村田らむ
次回 心霊スポット編 奥多摩湖ロープウェイ