心霊①/雄別炭鉱・宜保愛子 | 見えない翼がいつか羽ばたけますように…


    雄別炭鉱(ゆうべつたんこう)は、1919年から1970年にかけて北海道釧路市に存在していた炭鉱です。

    営業当時は国内トップクラスの石炭産出地として栄え、周辺には病院、学校、映画館、住宅街、鉄道などがあり市街地も整っていました。
    人口も多い時では1万人を超えていた



    ですが炭鉱という職場の特性上、常に危険が伴っており事故の記録も残されています。

    1933年(昭和 8年) ガス爆発事故発生。死亡者5名、他怪我人多数。
    1935年(昭和10年) ガス爆発事故が発生し、95名の死亡者が出る。
    1955年(昭和30年) ガス爆発事故。死傷者77名の内、死亡者60名。
    1967年(昭和42年) 落盤事故が発生。死亡者6名。
    1968年(昭和43年) 崩落事故により4名の方が亡くなる。
    1969年(昭和44年) ガス爆発事故により、死亡者19名、負傷者24名。

    雄別炭鉱の終わりは突然訪れました。

    時代の流れで石炭の需要が低下していた時期に、1969年の事故対応が相まって経営が急速に悪化し倒産。

    閉山となった雄別炭鉱から人々は退去することを余儀なくされましたが、設備は放置となったためゴーストタウンと化して現在に至っております。

    実際に多くの死傷者が出た地であるが故か、その後廃墟となった雄別炭鉱周辺では「出る」という噂が囁かれます。

    とりわけ病院跡地には心霊体験談が多く聞かれ、指折りの心霊スポットとしてその名を轟かす場所となりました。

    気軽に現地へ赴くのはお勧め致しません。雄別炭鉱周辺は国有林であり、入林許可が必要となります。

    残された建築物等も長年放置されているため老朽化が激しく、不測の事態が発生しても携帯電話は圏外のため使用不可です。


    またヒグマの生息地であるため遭遇予防を万全にしておかなければ非常に危険です。


    閉山により住み慣れた土地を去ることとなった方々の無念や、事故で死傷された方々のご冥福を祈って。合掌。


    道東霊所めぐり 1/3    宜保愛子

    優しくて素晴らしい人ですね。宜保愛子さんはほんとの霊能者だと思います。


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    雄別炭鉱の怖い話

    私は雄別炭鉱の近くで生まれ育ったので、小さい頃から雄別炭鉱での心霊体験の話などをよく聞いていました。
    これは学校を卒業して自動車免許を取った頃、友人たちとよくドライブに出かけていた時の話です。

    ある日、友人達と4人でドライブに行くことになりました。

    その車中、雄別炭鉱の話になりました。

    それは友人の知人が雄別炭鉱へドライブに行って、廃墟となった病院に入り床が抜けてケガをしてしまったという話でした。

    地元では有名な所でしたが、私達は誰も行った事が無く、暇を持て余していた私達は怖いもの見たさで雄別炭鉱に行ってみよう!となったのです。

    夕方、友人Aの白い軽自動車で雄別炭鉱へ向かいました。

    田舎なので日が暮れ始めると歩いている人は少なく、辺りはもう真っ暗です。

    心霊スポットに車で行く場合、車の座席に空きがあるとおばけが乗ってくるから席は埋めて行かないとだめ!ということを聞いたことがありましたが、その日は4人だし大丈夫だねなんて話をしながら行きました。

    しかし雄別炭鉱へ近づくにつれて、不穏な感じがしてきました。車の中でわいわい騒いでいた私たちも、少しずつ無言になります。

    そして到着。

    完全に廃墟でした。

    雄別炭鉱の病院まで行く予定でしたが、あまりに不気味だったためそこまで行くことも出来ず、車から降りることもできませんでした。

    人の気配など微塵も無く、自分の住んでいる町の近くにこんな場所が本当に存在したのか…と、とにかく不気味でした。

    車の中からただ廃墟を見て、写真を撮ることもなく固まって見ていました。

    幸い誰ひとり幽霊を見たり、おかしな言動といったこともなく無事にドライブは終わり。

    結局そのまま、それぞれ自宅まで送ってもらって帰ることにしました。

    帰る途中に休憩することとなり、全員車を降りてジュースを買って飲んで外の空気を吸いました。

    その時初めて「不気味だったね…」「怖かったね…」とみんなで話しました。

    雄別炭鉱では下手な事を口にしてしまうと、何かが起こりそうな気がしたのです。

    それから数日後、雄別炭鉱へ行ったメンバーでまた集まることになりました。

    その時に車を出してくれた友人が
    「雄別炭鉱で何も感じなかったよね?その後も大丈夫?帰り道、休憩する時にみんなで車降りたけど、車に何も変化はなかったよね?」と言い出しました。

    何事かと聞いてみると、みんなを車で送った後家に帰って車から降りると、白い車に血のような赤い何かが付いていたらしいのです…。

    運転中にもちろん事故など起こしていませんし、おかしなこともありませんでした。

    帰り道の途中で休憩した時も、送ってもらって車を見送った時も、夜とはいえ白い車に何かがついていれば誰かが気づいたはずです。

    運転していた友人の冗談かと思いましたが、そんなウソをつく性格ではありません。

    それを聞いた私も友人もみんな、怖くなって泣いてしまいました。

    車についた血のようなものにはどんな意味があったのか。なぜ誰ひとり気がつかなかったのか。

    遊び半分でそのような場所へ行ってしまったことがいけなかったのかもしれません。
    友人の車と私達は、その後一応お祓いに行きました。

    その後、私達は雄別炭鉱に行ったことは一度もありませんし、そのメンバーでこの話も口にしないようにしています。

    雄別炭鉱(釧路炭鉱)の体験談

    • 「緩やかな砂利道を登った先で…。」

      これは十数年前の話になる。

      車が通れるくらいの登り坂が続いているが、そこは車両通行禁止となっているため、歩いていくしかない。その時のメンバーは男女6人。時間は夕方~日が沈む頃だった。

      「上まで登ったら景色イイかも」みたいなノリで登り始め、開けたところに着いた頃、辺りは薄暗くなっていた。

      心惹かれるような景色はないが、2、3m歩先に崖があった。崖に落ちないよう注意しながら6人はスナック菓子をつまみに缶ビール、缶チューハイを飲み出した。ビール少量で酔うわけもなかったが、その崖、崖から下の暗闇に異様なものを感じた。

      なんと表現したらよいのかわからないが、惹かれる、吸い込まれそう、先を見てみたい、そんな類いの感情だっただろうか。するとメンバーの一人(A子)がスクッと立ち上がり、フラフラと崖の方に歩き出した。

      他のメンバーはこの状況に気づかない。というか普通気づくであろう。

      放っておく訳にもいかないので、今この状況に気づいている自分がA子の側へ寄っていった。しかし無言で歩き続けるA子に不気味ささえ覚えた自分は、他の仲間に大声で助けを求めた。

      「A子がおかしい!お前らもこっち来いよ!」

      すると仲間からは「何言ってるんだ??A子はここにいるし!おかしいのはお前じゃん!」と返答があった。フッと見てみると確かに向こうでA子は盛り上がっており、自分の側にいたA子は消えている…。

      そして気づくと崖まであと2、3歩のところに立っていた…。自分は幻覚を見ていたのか??歩き出したA子に誰も気がつかなかったのは自分を崖から落とすため、何者かが霊力(?)なるものを使っていたのか??

      無事に帰ったあと、自分の体験を話したが、誰も信じなかった。ただ、A子を除いては…。

      今でもこの馬鹿仲間達の数人とは交友関係にあるが、もう皆いい大人で、心霊スポット巡りなんてとおの昔に卒業した。緩やかな砂利道を登った先で…。
    • 「あれからいいことない」

      もう10年も前の話です。ここに、僕を含めて10人で行きました。行きは、みんなテンションが高く、ワクワクしていました。ここに着いたら、みんなでこの周辺を探索しました。僕は、カメラで写真を撮りました。すると、なんでしょうか、何かが写っています。どう見ても木の枝やゴミではありません。この世のものではない何かです。
      僕は、この写真をみんなに見せました。みんな、口を揃えてゴミだと言います。
      僕も、ゴミだと思い、全く怖くありませんでした。その途端、カメラの電源が勝手に切れました。電池切れではありません。新品のカメラでした。やはり、あの写真に写っていたのは、幽霊だったのか。僕は、そう思い、なんだか怖くなりました。
      すると、友達の1人が突然泣き始めました。友達曰く、目の前に髪の長い女性が立っていたそうです。僕たちはみんな怖くなり、もう帰りました。
      それから数日後、泣いた友達は事故で亡くなりました。やはり、幽霊が関係していたのでしょうか。ちなみに、僕も行った後の1日後に、車にぶつかり右手を骨折しました。他の友達も、あれ以降幸せなことがないそうです。