今から850年ほど前、イギリスに不思議な子供たちが現れた。


子供たちは見たこともない衣服をまとい、聞いたことのない言語を喋る。


そして何より奇妙なことに、彼女たちの肌は全身が鮮烈な緑色をしていた。


残された文献から、その怪事件を追ってみよう。



ウイリアム征服王からリチャード獅子心王の時代まで、イギリス初期の歴史を綴った貴重な資料がケンブリッジ大学のコーパス・クリスティ・カレッジに残されている。


『英国事件史(Historia rerum Anglicarum)』と題されたその年代記は、ニューバーグのウィリアム修道士によって書かれたモノだ。他の資料と合わせた概要を書いてみよう。


ウールピットの村が作物の収穫期に入った頃、どこからともなく、2人の子供が現れた。女の子と男の子だ。


2人とも全身が緑色で、見たこともない素材でできた衣服を身にまとい、言葉は全く通じなかった。


村人たちに捕らえられ、見せ物としてワイクスのリチャード・ド・カーンという騎士の邸宅へ連れて行かれると、彼らは激しく泣き出した。


後に判明することであるが、この時、2人は空腹に耐えかねていたのだという。


だが、パンや他の食べ物を2人の前に並べても、彼らは一切口にしようとはしなかった。それが『食物』であることを把握できていなかったのだという。



そこに収穫されたばかりの豆が運ばれてくると、それを見て酷く欲しがったのでためしに与えてみた。



2人は何を勘違いしたのか、茎の空洞の中に豆が入っていると考えたらしく、サヤではなく茎を裂き、そこに豆が入っていないことに気がつくと再び泣き出した。



そばにいた者が不憫に思い、サヤを剥いて豆を見せてやると、大喜びでそれをむさぼり、それからしばらくは豆以外のモノを口にしようとしなかったという。



少年のほうは体が弱く、沈みがちで、発見から間もなくして死んでしまった。
一方の少女の方は健康で、様々な食物にも慣れ、やがて肌の緑色も薄れていった。



そして彼女はキリスト教徒として洗礼を受け、キングス・リンの男と結婚して余生を送った。


素行はやや自由奔放だった――とされる。


彼女は少しずつ『こちら側』の言葉を覚えた。そして、多くの人たちに質問された問いに少しずつではあるが答えていった。
その問いは、無論、こうだ。


「君は、どこから来たのか」


これに対しての少女の返答は、こんなふうなモノだった。


自分は聖マルチヌスの国の人間である。


ある日、家畜の世話をしていたところ、洞窟からとても大きな鐘の音が聞こえてきた。


その音色にうっとりして長い間さまよっているうちに、出口へやってきた。


外へ出たとたん、強烈な太陽の光と、異常に暖かい空気に衝撃を受け、地面に倒れた。


やがて、村の人々がやってくる物音に気がついて、逃げようとしたが、洞窟の入り口が見つからず捕まってしまった。


彼女の話によると、彼らの国には教会があり、広い川によって光の国から切り離されていると言うことだった。


そして、彼女たちのいた場所では太陽が昇らず、日光というモノが存在しなかった。


この世界でいう日の出前や日没後のような薄日があるだけだったと。それはトワイライトと表現されている。


彼女は子をもうけ、故郷へ戻ることなく、やがて亡くなった。


ニューバーグのウィリアム修道士。
コギシャル修道院長のラルフ。


この二人が残した年代記は真実を書き残したのだろうか。


少なくとも、ニューバーグのウィリアム修道士はこの緑の子供たちについて、以下のような所感を述べている。


私はここで、前代未聞の不思議な出来事を省略するわけにはいかない。

この事件は、誰1人として知らぬ者がいないほどの噂になっていたが、私自身は長い間、信じることをためらっていた。

事実と認めるに足る証拠もなかったし、あまりにもとらえどころがない話で、正直に信じるには馬鹿げていると思ったからだ。

しかし、私はこの事件の目撃者があまりに多く、また目撃者たちが信頼に足る人々であることを知った。

そのため、半信半疑だった私も信じざるを得なくなり、あらためて驚いたのだ。

英国事件史
このウールピットの事件に似た事例に解決のヒントがあるかも知れない。