学徒出陣 慰霊碑撤去前の「最後の」追悼会(10月21日 16時39分)

戦時中、今の東京の国立競技場で、学徒出陣の壮行会が行われてから21日で70年となり、90歳に達した元学徒らが、競技場にある慰霊碑の前で、追悼会を行いました。



慰霊碑は、7年後のオリンピックに向けた競技場の建て替えで、いったん撤去されることになり、この場所での追悼会は今回が最後かもしれないと話しています。





オリンピックで撤去・・(◎`ε´◎ )

慰霊碑を撤去とはなにごとか(#`皿´)

テレビでも伝えない、慰霊碑をも撤去、戦地におもむいて亡くなった学生はどうおもうのでしょう。

靖国でも、そうですが、国の為に、大切な人を守るために死んでいった方々、こんな扱いされて無念でしょうね。

戦争は伝えていかなくてはなりません。ましてテレビでは、NEWSWebしかやってなかった気がしますが、忘れてはならないことです。



長文になりますが、ぜひ最後まで読んで頂きたいです。


学徒出陣

昭和18年10月21日・明治神宮外苑競技場で、壮行会が行われました。


昭和十八年十月二日、勅令により在学徴集延期臨時特例が交付され、全国の大学、高等学校、

専門学校の文科系学生・生徒の徴兵猶予が停止された。この非常措置により同年十二月、約十万の学徒がペンを捨てて剣を執り、戦場へ赴くことになった。世に言う「学徒出陣」。

全国各地で行われた出陣行事と並んで、この年十月二十一日、ここ元・明治神宮外苑競技場に

おいては、文部省主催の下に東京周辺七十七校が参加して「出陣学徒壮行会」が挙行された。



折からの秋雨をついて分列行進する出陣学徒、スタンドを埋め尽くした後輩、女子学生。

征く者と送る者が一体となって、しばしあたりは感動に包まれ、ラジオ、新聞、ニュース映画はこぞって

その実況を報道した。翌十九年にはさらに徴兵適齢の引き下げにより、残った文科系男子および女子学生も、軍隊にあるいは戦時生産に動員され、学園から人影が絶えた。

時流れて半世紀。今、学徒出陣70
周年を迎えるに当たり、学業半ばにして陸に海に空に、征って還らなかった友の胸中を思い、生き残った我ら一同ここに「出陣学徒壮行の地」由来を記し

て、次代を担う内外の若き世代にこの歴史的事実を伝え、永遠の平和を祈念するものである。

  
母へ最後の手紙   

林市造
     
京大経済学部学生。昭和20年4月12日特別攻撃隊員として沖縄にて戦死。23歳

 
お母さん、とうとう悲しい便りを出さねばならないときが来ました。
 
親思う心にまさる親心今日のおとずれなんときくらん、この歌がしみじみと思われます。
 
ほんとに私は幸福だったです。わがままばかりとおしましたね。
 

けれども、あれも私の甘え心だと思って許してくださいね。
 

晴れて特攻隊員と選ばれて出陣するのは嬉しいですが、お母さんのことを思うと泣けてきます。
 

母チャンが私をたのみと必死でそだててくれたことを思うと、何も喜ばせることができずに、安心させることもできずに死んでいくのがつらいです。
 

私は至らぬものですが、私を母チャンに諦めてくれ、と言うことは、立派に死んだと喜んでください、と言うことは、とてもできません。けどあまりこんなことは言いますまい。母チャンは私の気持をよく知っておられるのですから。



情けある母の哀訴嘆願   

平井 聖
     
東北大法学部学生。19年10月豊橋陸軍予備士官学校入校。20年7月9日仙台にて爆死。20歳。

昭和一九年九月二五日、福島氏の柴生田宅で優待になり、日曜朝帰宅ーー母より、理科方面への転向をすすめられる。

いままで経験をつんできた学生としての最善の道をたどれ、とのありがたい親心ではあるが、そのすすめのごとく医科にまた農科へいくことも心に染まず、つい憤慨する。文科学生としての行き方を求めてせっかく苦労して飛び込んできた道である。

  
一一月三〇日
 
またしても母の転科をすすむるますます激しくなった。ただひとりの息子――その成長ばかりを願ってきた母は、わが子をみすみす戦場に死なせるのはけだし“願わざるのはなはだしき”ものであろう! 

この憂いその心配はまるで狂気のごとく、母としてはほとんど泣かんばかりの真剣な態度で自分に哀訴するのであった。

説き去り説き来たりためつなだめつ一生懸命説得するのであった。

最初理科方面への転向、「将来大学を出よ」との打算的な考えにすぎなかったようであるが、今や母親の本能は敏感に 我が子の血の臭いを嗅いでいる! 

的確に“死”の予想をしていたようであった。もちろん飛行機に乗れば当然生命はなく、「仙台青葉師団」の戦闘幹部にでもなれば、これまた当然生還の目算は立たぬのである。

そぞろ母親は感慨深く、「お前の性格からしても猪突猛進してついには生命を失くすであろう」という。

いかに我が性格はわざわいなるかな、自分もそう思っていたところをズバリ言い当てられたので愕然とした。しみじみ自分の一徹な性格をば嘆く!
 
しかもこの若さにおいて散ることこそ、自分の最も本望とするところ――だが両親の考えは、一概に自由主義思想の残滓的感情とばかりはいい切れない。
 

心中で泣いて合掌しながらも表面ではただただ微笑をたたえて、情けある母の哀訴嘆願に対さねばならない。この矛盾そしてこのジレンマ、自分は二つの相反した魂の葛藤に、心苦しくも泣き、果ては慟哭したのであった! ……お母さん、お気持ちはようくわかります。しかし時代とわれわれの教養がお言葉にそうのを許さないのです。どうぞ先立つ不幸はおゆるしください。……




きけわだつみのこえ  



ぜひ、若い人によんでもらいたい。


日本戦歿学生の手記 

日本戦没学生の手記『きけわだつみのこえ』は1949年、学徒出陣で戦場に引きずり出されていった学生たちの手紙、日記を編集・発行したものです。

これを抜粋して冊子としてまとめたもの。

戦争体験世代の思いを受けつぎ、戦争を阻止する力のある運動をつくるために活用されることを願う。    

母へ最後の手紙(林市造)/情けある母の哀訴嘆願(平井聖

死んでいく戦友(林憲正)/鮮血にまみれた農夫(川島正)
全12編を収録
        発行・青年学生平和の会  B6判 30頁    

「きけわだつみのこえ」の冒頭に載っている、有名な一文。

筆者は、上原良司(うえはらりょうじ)氏。1922(大正11)年9月27日生。長野県出身。

慶應義塾大学予科を経て、1943(昭和18)年、経済学部入

1943年12月1日、松本第五〇連隊に入隊。

1945年5月11日、陸軍特別攻撃隊員として、沖縄嘉手納湾の米機動部隊に突入戦死。陸軍大尉。享年、22歳。

若干22歳の若者が、明日特攻に出撃して、自分は確実に死ぬ、と分かっている状況で書いた、驚嘆するほど冷静・明晰な、教養と、そして苦悩に満ちた文章である。

所感

栄光有る祖国日本の代表的攻撃隊ともいうべき陸軍特別攻撃隊に選ばれ、身の光栄これに過ぐるものなきを痛感いたしております。

思えば長き学生時代を通じて得た、信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合、

これはあるいは、自由主義者と言われるかも知れませんが、自由の勝利は明白の事だと思います。

人間の本性たる自由を滅ぼす事は絶対に出来なく、例えそれが抑えられているがごとく見えても、

底においては常に闘いつつ最後には必ず勝つということは、

彼のイタリアのクローチェ(注:イタリアの哲学者。1886-1952)も言っているごとく真理であると考えます。

権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも、必ずや最後に敗れることは明白な事実です。

我々はその審理を今次世界大戦の枢軸国家(日本・ドイツ・イタリア。つまり、三国同盟を結んだ国)において見ることが出来ると思います。

ファシズムのイタリアは如何、ナチズムのドイツはまた、既に敗れ、今は権力主義国家は土台石の壊れた建築物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります。

真理の普遍さは今、現実によって証明されつつ、過去において歴史が示した如く、未来永久に自由の偉大さを証明して行くと思われます。

自己の信念の正しかったこと、この事はあるいは祖国にとって恐るべき事であるかも知れませんが、

吾人(引用者注:「我々」の意)にとっては嬉しい限りです。

現在のいかなる闘争もその根底を為すものは必ず思想なりと思う次第です。

既に思想によって、その闘争の結果を明白に見る事が出来ると信じます。

愛する祖国日本をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんとする私の野望はついに空しくなりました。

真に日本を愛する者をして立たしめたなら、日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。

世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私が夢見た理想でした。

特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人が言ったことは確かです。操縦桿を採る器械、人格もなく感情もなく、

もちろん理性もなく、ただ敵の航空母艦に向って吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬのです。

理性を持って考えたなら実に考えられぬ事で、強いて考うれば、彼らの言うごとく自殺者とでも言いましょうか。

精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。一器械である吾人は何も言う権利もありませんが、

ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を、国民の方々にお願いするのみです。

こんな精神状態で征ったなら、もちろん死んでも何にもならないかも知れません。

故に最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれたことを光栄に思っている次第です。

飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、いったん下りればやはり人間ですから、そこには感情もあり、熱情も動きます。

愛する恋人に死なれたとき、自分も一緒に精神的には死んでおりました。

天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと、死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。

明日は出撃です。

勿論発表すべきことではありませんでしたが、偽らぬ心境は以上述べたごとくです。

なにも系統だてず、思ったままを雑然と並べた事を許して下さい。

明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後ろ姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。

言いたいことだけを言いました。無礼をお許し下さい。ではこの辺で。

出撃の前夜記す




もう一度書きますが、これは22歳の青年の書いた文章です。恥ずかしいですが、私は彼の倍以上の時間生きているが、

これほど立派な文章は書けない。

初めて読んだ人、涙無くして読めましたか?

何とも感じないひとは、悪いけど、人格に問題ありです。

戦争をするということは、家族や恋人など2度と会えなくなること、そしてこれほど優秀な若者を、国家の命令で死なせてしまう、ということ。


安倍晋三内閣総理大臣。それでも日本を再び戦争が出来る国にしたいのですか。