昭和12年(1937)7月29日

盧溝橋事件の約3週間後に起こった、おそるべき虐殺事件についてご存知でしょうか。


北京の東にある通州というところで起きたこの「通州事件」は、今ではほとんど語られません。

学校の教科書には全く出てきませんし、多くの歴史書や年表にも殆ど載っていません。若い人たちは、事件の名前すら知らない人が殆どでしょう。


この通州事件は、 昭和12年(1937)7月29日 に起こった、中国人の保安隊による大規模な日本人虐殺事件です。

殺されたのは、通州の日本軍守備隊、日本人居留民(多数の朝鮮人も含む)の約260名で、中国兵は、婦女子に至るまで、およそ人間とは思えないような方法で日本人を惨殺したのです。
昭和12(1937)年7月29日に起きたこの通州事件は、支那保安隊による日本人大虐殺事件です。

自治政府保安隊(中国人部隊)が、華北各地の日本軍留守部隊約110名と婦女子を含む日本人居留民約420名を襲撃し、約260名が虐殺された事件です。(参考:通州事件-Wikipedia)





日本人が大虐殺された歴史。





隠された歴史、通州大虐殺。

通州事件(つうしゅうじけん)とは、1937年(昭和12年)7月29日に発生した事件で、「冀東防共自治政府」保安隊(中国人部隊)による日本軍部隊・特務機関に対する襲撃と、それに続いて起こった日本人居留民(朝鮮系日本人を含む)に対する虐殺事件である。

当時の日本が支那に和平を訴えても、このような支那人による恐ろしい極悪非道のホロコースト(大量殺戮)が日本人に対して行われていたということだ。

しかしながら、日本の敗戦後、戦勝国に都合のよい歴史を押しつけられ、鬼畜・支那人によって何度となく行われた日本人市民に対する極悪非道の残虐な事件は、東京裁判でも却下され、忘れさせられてしまった。

戦勝国は日本を侵略国と定義する為、日本の被害はすべて闇に葬られた。

さらに断じて許せない事は、支那人が日本人市民に対して行ったおぞましい殺戮の証拠写真を日本人が支那人に対して行った証拠写真(南京虐殺など)として捏造』し、日本政府を糾弾する外交カード、そして現在の中国人の反日教育に利用されている。

加えて、この悪夢のような事件から既に70年以上経過しているが、根本的な支那人(漢民族)の気質は全く変わっていない。

ウィグル暴動に関して当ブログ記事
「ウイグル暴動の真相」でも伝えたのだが、

「逃げ回るねずみを追いかけて、ぶっころすような感じで、撃たれてさらに(漢民族に)ウイグル人が一人一人殴られて、死ぬまで殴られていく・・・」

「ウイグル人の女性が中国人(漢民族)に集団レイプされ、そのうち二人が、首を切り取られ木にぶらさげられ・・・」という事件だ。  

ちなみに日本のマスコミは、通州事件も、これらの事実(ウイグル暴動の真相、チベット人 大虐殺)も一切報道していない。 

NHKを筆頭に、反日マスコミは、日本の自虐史観は繰り返し報道するものの、日本こそが、酷い被害者であった事、そして特亜の闇の部分は一切報道しない


孫・通州事件って何ですか

私・・通州事件というのはね、蘆溝橋事件から三週間 後の七月二十九日に、北京の近くの通州で起きた中国 兵による大規模な日本人虐殺事件で、二百数十名の日本の子女達が、見るも無残に虐殺された事件だよ。

孫・・へー、そんなことがあったんですか、そこに日本軍は居なかったんですか。


私・・居たことはいたんだ。しかし偶々守備隊の大部分が別の場所へ戦闘に行っていて、通州にはごく僅かの留守部隊しか残っていなかった。

通州には親日的な 殷汝耕氏を委員長とする自治委員会が昭和十年十一月 から出来ていて、中国の保安隊も形の上ではその隷下 にあったわけだから、日本軍も或る程度安心していたのではないかな。それが日本軍の手薄を知って突然寝 返ったわけだ。

孫・・飼い犬に手を咬まれたというところですね。

私・・飼い犬とまでは行かなかったかも知れないが、 とにかく多勢に無勢、日本軍は死力を尽して戦ったものの、それ以上は何も出来なかった。その間に殷汝耕氏 は拉致されるは、日本の子女達は虐殺されるは・・・・で、 大変なことになってしまったわけだ。


孫・・虐殺って、どんなことをしたんですか。


私・・うん、あんまり凄いんで、言うのも憚られるん だがね。女という女は全部裸にされて辱しめを受け、 その上、局所を切り取られたり、箒を押し込まれたり していたそうだ。そのほか鼻に牛のように針金を通さ れた子供や、目玉をくり抜かれた人など、見るも無修 な情況だったようだ。

孫・・よくそんなことが出来ますね。

私・・中国兵には時々、そういう猟奇的な殺人が集団 的に見られるようだね。日本の兵隊はそういう殺し方 はまずしない。一刀両断バサッと斬るとか、銃剣で一 突きで殺すとか、ホラ、テレビで見る昔の戦争のやり 方さ。そのへんが国民性の違いかも知れないがね。と に角ひどい殺され方をしたわけさ。


孫・・そんなひどい殺され方をして、日本は怒ったで しょうね。


私・・そうだよ。日本の世論は轟々として悪逆無道の 中国討つべしという声が高かった。


しかし、それでも 日本はまだ不拡大方針を変えなかった。そこへ今度は、 上海で大山海軍中尉らが虐殺されるという事件が八月 九日に起き、それをきっかけとして八月十三日、遂に 上海事変が勃発した。

中国は全国総動員令を下して日 本と全面的に戦う姿勢を示し、日本もやむを得ずこれ に呼応して戦うことになったのだよ。

孫・・そしてどんどん戦線が拡張して行ったのですね。

私・・当時蒋介石政権の首都は南京にあった。だから 南京さえ落せば、戦争は終ると考えていた日本人も随分居たと思うね。しかし蒋介石の国民政府は、南京が 陥落する前に主だった人達は皆南京を放棄し、首都を 重慶に移して徹底抗戦を唱えた。

戦後ので東京裁判弁護団は通州事件についての外務省の公式声明を証拠として提出しようとしました。

しかし、ウェッブ裁判長によって、その申し出は却下されました。

この事件にふれてしまうと、日中戦争は日本だけが悪いと言えなくなってしまうという判断があったからでしょう。


ただ、通州事件の目撃者による口述書だけは受理されました。あまりに残虐な内容ですが、その一部を引用します。

 「守備隊の東門を出ると、数間ごとに居留民男女の死体が横たわっていた。某飲食店では、一家ことごとく首と両手を切断され、婦人は14、5歳以上は全部強姦されていた。

旭軒という飲食店に入ると、7、8名の女が全部裸体にされ、強姦射刺殺され、陰部にほうきを押しこんである者、口中に砂を入れてある者、腹部を縦に断ち割ってある者など見るに堪えなかった。

東門の近くの池では、首を電線で縛り、両手を合わせて、それに八番線を通し、一家6名数珠つなぎにして引き回した形跡歴然たる死体が浮かんでおり、池の水は真っ赤になっていた。

夜半まで生存者の収容に当たり、『日本人はいないか』と叫んで各戸ごとに調査すると、鼻に牛のごとく針金を通された子供、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦などが、そこそこのちり箱の中やら塀の陰から出てきた」
 
どうでしょう、これが人間のやることでしょうか。中国の保安隊は、日本人居留民を通州城内に集め、城門を閉じ、逃げられないようにして、一斉に殺戮行為を開始したといいます。

決して偶発的な出来事というわけではなく、明らかに事前準備と計画をともなった組織的な行為だったのです。
 
当然ながら、この虐殺の報は現地の日本軍兵士を激昂させましたし、日本国内にも伝わって、国民の中国に対する怒りは頂点に達しました。
 
盧溝橋事件は、純粋に軍どうしの衝突であり、それは現地で解決がはかられました。

ところが、この通州事件は明らかな国際法違反であり、その殺し方はまさに鬼畜のしわざとも言えるものでした。

当時の日本人の反中国感情はこの事件を抜きにして理解することはできないのです。

また、この事件に触れずに日中戦争を語ることはできないと思います。
  
今でもなお、チベット、ウイグルでも








残虐なことが起こっています。うその南京大虐殺の写真、殺された日本人の通州事件の写真です。



こんなに悲惨な出来事を伝えないマスゴミ

情けない。

それにしても媚中の政治家が多い日本、おかしくないですか?

日本人200人超虐殺の通州事件 中国指摘する南京事件と酷似

日本に対して、「歴史の直視」を訴える中国政府の急所は、自国の歴史認識に他ならない。1937年に北京郊外で発生した通州事件と1946年に吉林省で発生した通化事件。いずれも多くの日本の民間人が虐殺されたが、中国共産党は、現在に到るまで隠蔽し続けている。

戦後70年の今年、中国は戦勝国としての「面子」と「立場」を盛んに強調するが、自国の戦争犯罪を検証できない国に未来はないとジャーナリストの櫻井よしこ氏は指摘する。

 * * *
今年に入って中国が、日本に対して次々と「歴史カード」をきってきています。最近では、虐殺の事実を確認できない南京事件の犠牲者を「40万人」とまで言い始め、「日本兵の残忍さ」を世界中に宣伝しています。

3月21日の日中韓外相会談でも中国の王毅外相は日本の岸田文雄外相に「歴史を直視せよ」と述べ、安倍政権を厳しく牽制しました。

しかしこの言葉は、中国にこそ向けて発せられるべき言葉だと、私は思います。

中国の地で日本人が及んだとされる残虐な行為のほとんどは根拠に乏しいからです。たとえば南京では「赤ん坊を空中に投げ、落下するところを剣で刺した」という話を中国政府は広めています。

日本の先人たちが、その種の暴虐に及んだとは俄(にわか)には信じがたいのです。

調べてみると、そうした蛮行はむしろ中国人が日本人に対して及んだ行為であることが分かってきました。

日本ではなぜかあまり知られていませんが中国では日本人に対する虐殺事件が幾度も起きています。代表的な事例が1937年7月29日の通州事件です。

通州事件では約400人の在留日本人のうち200数十人が虐殺されました。女性たちは辱められ、遺体を切り刻まれ、中国兵たちは切り落とした頭部で遊んだとさえいいます。

首を固定して吊るされている人たちも目撃されました。彼らは食事も水も与えられず放置され、何日間もの長い間苦しんで死に至ったのでしょう。

気付かれたでしょうか。これらは、南京で日本人が犯した残虐行為だと中国政府が主張するものと酷似しています。

人間は、自分の行動や価値観に基づいて、他人の行動を推し量ろうとする生き物です。中国政府が、日本軍が南京で及んだと主張する行為には裏付けがない。

けれどころか、日本人の犯罪を後からでっちあげるべく、自らの過去の蛮行を参考にした可能性があるのです。その一つが通州事件だったと私は考えています。

 通州事件は中国人の民族性の一端を表していますが、それは100年や200年のスパンで築かれたわけではありません。

紀元前500年から紀元1000年までの約1500年の中国の歴史を、北宋の学者・政治家だった司馬光がまとめた『資治通鑑』という歴史書があります。

1万ページに及ぶこの大著の中に中国人が長い歴史のなかですさまじい拷問を編み出し、政敵や反逆者たちへの罰として、繰り返してきたことが書かれています。

中国では刑は残酷であることをもって是とされ、捕らえた者をより多く、より長く苦しませなければ、逆に刑吏が罰せられました。通州事件で日本人が受けた残虐な行為は、いずれも同書に繰り返し繰り返し登場する刑罰そのものでした。

そうした民族性は、戦後も綿々と受け継がれました。 『資治通鑑』を17回も読んだとされる毛沢東は、大躍進政策で約2000万人の農民を餓死させ、文化大革命で3000万人以上の知識人や富裕層を死に追いやりました。

現在も、反政府の活動家や中国共産党内の不満分子に対して、人を人とも思わないようなすさまじい拷問が繰り広げられている、国家主席をはじめとする中国の指導者層は、同書に書かれていた恐怖政治を体制安定のために敷いているのです。

※SAPIO2015年5月号




最悪 人間のすることではないです。
 
今もウイグルやチベットでは虐殺、拷問がはびこっています。

通州事件   東京日日新聞

虐殺された写真はありますが、残虐すぎて載せられませんでした。

マスゴミも言わない、教科書にも載りませんが、こういうことがあったんだ、ということを忘れないでください。