アメリカから帰ってきました。日本。
皆様、いかがお過ごしでしょうか?
帰国して早々に面接を受け、あまりの自分の説明能力のなさに
うちひしがれ、そのまま上京。面接を受け、友達に会って
変化と刺激をびしびし受け、東京のひとの多さに少々酔い、
なんとなく居場所がないような気持ちを抱えつつ
時差ボケとたまりにたまった疲れによる体力の限界も感じて
岐阜に戻り、トランクの山をなんとかして
やっと落ち着き始めた今日この頃。
正直、帰る前から予測していた自分の反応が予想以上だった。
一言でいえば、え?である。
久しぶりの日本は、渇望だとか貪欲だとか、そういうものが欠けているように見えた。
外の世界とはまったく断絶されたような鎖国状態というか。
疲れとあせりとで 自分が自分でないような気がした。
きっと正しい場所に行けば、そういうものをびしばし感じられたのかもしれない。
けれど、少なくともあたしがいる場所、いた場所にはそれが感じられなかった。
友達はどう思ったんだろう?
もっとゆっくり一対一とかで話ができたら、違ったのかもしない。
もしかしたら、興味がないのかもしれないし
質問をすることは失礼、と思っているのかもしれないけれど。
こればっかりは、わからない。わからないことだらけだ。
年を経るごとに、タブーが増えていくのかもしれない。
そういう意味で、外国人でいることは楽なのかもしれない。
文化の違い、で済ますことが可能だから。
同じ日本人の中でも文化の違いは間違いなく存在していて
でもそれを見逃してしまいがちだ。少なくとも、あたしは。
それで、過去にたくさんの無礼を働いていたんだろうと思う。
たくさんの違いを無礼だと思ってしまったんだろうと思う。
今回はわりと時間もあったので、いろんなひととゆっくりと会うことができた。
たとえば。
東京の姉、Aさんとはおしゃれな街をひたすら歩きながら
おいしいものを食べに食べ、街の空気を味わって、すてきな時間を過ごす。
スフレを喰らい、はらドーナツを喰らい、極めつけに豚とねぎのしゃぶしゃぶを喰らい
どれもこれも極上でございました。
毎日を大切に、とあえていう必要もないくらい
すべての時間を平等に、同じ質度で味わうことができるようなひとだ。
ひねくれたあたしだけれども、彼女のメールは素直に染みる。
あたしの取り留めのない話をうんうんと受け止めてくれる。
聞き流すんじゃなくて、受け止めてくれるのだ。
この姿勢、学びたいといつも思う。 で、ずっと励まされてきた。
東京2日目にして、すでに混乱していたのだけれど
彼女のお陰で、気持ちがすっとなった。
自分が一人で空回りしているような気がしていたのを、
自分が信じた道をこのまま行こう、と改めてかんじさせてくださったSさん。
目の前のことを、今この瞬間を全力でいこう、と思うことができた。
Mさんが電話をくれるようにしてくださったり、車がきたらさっと反対側にまわってくださったり
と心憎い御方。 話し方もとても静かに澄んでいて、ささくれていたあたしを
とてもおだやかな気持ちにしてくださった。すっかり大ファンである。
お勧めされた本を翌日即効で購入し、みんなとの待ち合わせまで
近くにあったソファに座って読んでいたんだけれども
情熱がほとばしるような感覚を味わった。
同じくらいの年齢のひとがこんなことをやっている、こんな経歴を持っている。
それを知ったら、自分の現状を嘆かずにはいられない。
足るを知る、という言葉はすきだけれど
それだけでいたら、人間成長はできないんじゃないだろうか。
Tは今いる状態に満足していて、それでいて
どうやって毎日をハッピーに過ごすか、ということをよくわかってる。
学生時代からまったくそういう自由な空気は変わらない。
たのしー!とかうれしー!とか言い合いながら、飲んだ。
ライフワークバランス(だっけ?)をうまく調整しているし
調整してやる、という力を持っている。
自分の人生を自分の手のひらに乗せている。
みんなそれぞれの道を着々と歩んでいるんだなあ、と思った。
それでも、割り切れない思いがあって
実家に戻ってから 友達に聞いてみた。
そうしたら、その子は実際に同じような経験をしてきたようで
でも、私はこう思うよ、ということを言ってくれた。
そしたら、自分がいかに傲慢であったか、ということがわかって
恥ずかしくなってしまったと同時に、気持ちが安らかになった。
帰国してすぐに、イオンに母と買い物にいったとき
なぜだかぜんぜんわからないけど
恐怖とかあせりとかわけがわからない感覚に襲われ
頭がくらくらしてしまい、本当にふらっとしてしまった。
けれど、先日再度訪れたときには
平気だった。きっと、それなりに整理がついたのかもしれない。
ボストンの友達が恋しくて、あの授業が受けたくて
ううう、と思ったりしていたけれど
しばらくは自分で勉強しよう。
誕生日は久しぶり(10年ぶり!)に両親と過ごすことができた。
なんら特別なことはしなかったけれど
あたしの大好物である母の筑前煮が食べられたし
29かあ、と感慨にふけることもできた。
あと1年で30!楽しみだなあ。トゥルットゥー♪
今いるところを出られなきゃ、いきたいとこにはいけないの。
というのは、マザーグースの歌の一節なのだけれども
出るために一度、ここに戻ってきてよかったんだと思う。
次に進む前に、いろいろ整理すべきものがあったんだろう。
消化、といってもいい。
例え正しい判断ではなかったとしても、正しかったのだと言い切ってしまえるくらいの
パワーは持ち合わせていたいし、そのための努力をすればいいのだ。
20代はあと1年。毎年自分自身に誓っていることなのだけれども
今年こそは、本当に全力で駆け抜けたい。