小児科病棟で出会った、食べない女の子 | N'sひろみ 悲しみのケア日記

N'sひろみ 悲しみのケア日記

看護師歴20年、グリーフケア(大切な人・ペット・物などを失った深い悲しみ、悲嘆のケア)について学びました。「悲しみをどう受け止めるかによって人生の質が変わる」ことを痛感し、悲しみを抱えながらも、あなたらしく生きるためのヒント満載の講座を開講しています。

ご訪問ありがとうございます😃

今回も病院看護師時代のお話です。

「モデルさんになるのが夢なの。
   こんな太い腕じゃ、絶対に無理。
   だから、ご飯、要らない」

15年前、私は小児科病棟で看護師を
していたのですが、今でも
「今頃、あの子はどうしているかなぁ?」
と、ふと思い出す女の子がいます。

当時小学6年生、身長165cm、体重35kg前後。

私より身長が高くて、スラッとした。

いいえ、か細い手足が今にも折れそうで、
歩く時はフラフラ、いつも青白いお顔のA子ちゃん。

笑った顔を見たことがなくて、
頬はこけていて、
いつも何かに不満そうで。

運ばれてきた食事とにらめっこして、
最終的に一口も食べず、
ほぼベッドで横になっていて。
歩くのはトイレに行く時ぐらい。

だから、指先の血液で血糖値を測ると、
毎回低血糖で、
濃度の濃いブドウ糖を注射していたなぁ。

そんなA子ちゃんに、担当医の先生は
どう対応したら良いか、悩んでいるようで。

日勤で、A子ちゃんの担当になると、
いつもお話を聴いていた私。
何とか食べてもらいたいと思って、
解決策を探っていたのです。

どうしてモデルになりたいのか?
食べなくて平気なのか?
だいぶ我慢しているのではないか?
大好物は何か??
何が出てきたら、食べたいと思うのか?

一方、担当医は
食事の時間にA子ちゃんを観察。

「みかん食べたら点滴しなくても良いよ」、
「さぁ、ちょっとでも食べてみようよ」、
「お母さんも心配するよ!」

そのお母さんは、あまり面会に来られませんでした。
夕方に洗濯物を回収し、洗濯済みの服を置いて
帰っていく。
親子の会話はあまり無い様子でした。

あの時のA子ちゃんは、
食事をしない→体重が減る→モデルに近づく
という構図を描いていましたが、

今にして思えば、
育ち盛りの女の子が食べない、低血糖になることで、
その後の成長にどれだけ影響を与えるかを考えると
背筋が凍ります。

でも、当時の私は、A子ちゃんが自らの意思で
食べられるようになるためにどうすれば良いのか?
そればかりを考えていて。

他の看護師達は、
「A子ちゃん、頑固だなぁ」と思っていました。

A子ちゃんが食べなくなったきっかけを
何とかお母さんに聞いてみると、
「憧れのモデルさんの雑誌を見るうちに
私もモデルになりたいと言い始めて、
ぱたりと食べなくなってしまった」
とのことでしたが、

悲しみのケアを学んだ今になって思うと、
【A子ちゃんは何かを喪失していたのではないか?】
と思うのです。

喪失は、目に見えるものばかりではありません。

例えば、
親から愛されたいのに、愛してもらえないとか、
親が、自分よりも他の兄弟を可愛がるとか、
誰かに「太ってるね」など、容姿について何か
言われたとか、からかわれたとか、
何かに挑戦したけど、失敗に終わって失望したとか。

自分で自分のことを「愛せない何か」、
「痩せていないと存在価値がないと思わせる何か」が
あったのではないか?と思うのです。

あの時の私は、
「A子ちゃんが食べること」が目標でしたが、
まずは、A子ちゃんが喪失したものについての
観察、傾聴をしていたら、
状況は違っていたかもしれません。

A子ちゃんが食べなくても、
まずはそれを否定することなく、
A子ちゃんの本当の思い、
気持ちを知ることが出来ていたら。

A子ちゃんの存在を丸ごと肯定するために、
「食べても、食べなくても、モデルさんじゃなくても、あなたは生きているだけで十分素晴らしい
存在である」と、お母さんから話してもらったり、

医師や看護師もそれをしっかり伝えて、

自己肯定感を高める声掛けをしていたならば、
A子ちゃんの反応が変わったかもしれない
と思うのです。

憶測ばかりで恐縮ですが、  

子どもに何か問題が起こった時には、
「この子が何か喪失したものはないか?」
「喪失体験をした後の反応として、
  この問題が起こっているのではないか?」
と考えてみることも一つの方法だと思います。

そうすることで、子どもの気持ちの理解、
今起こっている問題の原因の理解が、
少し進むことがあります。

特に摂食障害においては、
栄養管理だけでなく、心理面へのアプローチが
欠かせません。

長くなってしまいましたので、
この辺で終わりにします。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました。