幸とは?
年末年始、胃腸炎になり寝込んでいた。
去年2025年の11月頃から身体が動きにくくなっていて、2023年6月からやってる今の施設の仕事も、いよいよ本当にもう無理かも…と思っていた矢先の胃腸炎だった。発熱し、身体動かずで、トイレに行くのも一苦労。
だからほぼずっと横になっていた。
それが悪かった…
後悔先に立たずだが、思い返すと、ちゃんと必要な水分も栄養もとってなかった。介護士なのに何やってるんでしょう…
おそらくこの時の脱水状態が引金となり病状が増悪した。
私がデイサービス閉めた時は「大脳皮質基底核変性症の疑い」という診断だった。
その後病気が「パーキンソン病」に確定した。大きな病院の若い医師は、普通にパーキンソン病の治療を始めようとしたが、私はパーキンソン病の薬は出来れば使いたくなかった。
何故なら、ドーパミンの薬飲んでたら、何年かしたらジスキネジアという勝手に身体が動くような副作用がある。それが憂鬱で、我慢できるうちは薬無しで過ごそうと考えていた。
主治医に話すと「そうですか。僕は使った方が良いと思う。まあ、様子見ましょう。」とだけ言ってとりあえず3ヶ月ごとの様子観察を続けていた。毎回動きを診て出来ない事を聞く。約3年こうして過ごしてきた。
そんな中の急な増悪。一時持ち直したが、またすぐに転落。自律神経がおかしいのか、更年期のせいなのか、何故なのか理由不明のまま苦しんだ。
症状としては、
とにかく落ち着かない。ご飯を食べていても急にいたたまれなくなり、叫びたいくらいの気持ちになる。仕方なく立ち上がりウロウロする。
ご飯の時だけではなく、四六時中、一ヶ所にとどまれない。
テレビ観てても座っていられない。
夜布団に入っても「うわー!」って5分もいられず飛び起きてしまう。自分で自分をなだめながら、真っ暗なキッチンに行き、湯を飲みトイレに行き、動かない身体を頑張って動かして、眠れるヨガとやらをやって布団に入って…また、「無理ー!」ってなってパニックになりそうなのを「大丈夫大丈夫」と言い聞かせて湯を飲んで…を5回くらいやってたらいつのまにか眠ってて、2〜3時間眠れるを毎日繰り返していた。
寝れないのなら早く、もう充分だから心臓止まって!と本気で願っていた。
外でご飯もお茶も出来ない。
友達と一緒にご飯も食べられない。談話できない。
美容院に髪切りに行ってもシャンプー中叫びそうな衝撃を何とか我慢しきる。
ソファでドラマも見られない。
心が落ち着くのは、、、歩いている時だけ。
しんどくても杖をつきながらずっとずーっと歩いていた。大雪の時も。途中で疲れてベンチに座っても、すぐ辛くなって歩行を再開。歩きながらウトウトと寝てた。
主治医に訴えた。こうゆう状況で辛いから、薬お願いしたいと。「あんなにジスキネジアを怖がっていたのにどういう心境の変化ですか?」と聞かれて、今、涙ながらに説明したのが全く伝わってないん!?と驚いた。人にとって、実体験と、言葉だけで聞く状況というのは天地の差があるんですよね。
この日、軽いシールタイプの薬から治療がスタート。眠れるように睡眠導入剤も飲み始めた。
やっとこれで好転する!の思いだった。でもすぐ効くわけではなく、若干動かなかった右半身が緩んだ程度。眠れない、休めないは変わらずで、でも1週間過ごしスタートした薬の様子見るための受診。
当然増えると思ってた薬、「そのまま維持にしましょう。」と言われ、驚愕。
この状態がずっと続くのか…
もう無理。生きていたくない。
「薬増やせないのですか?」と尋ねると、
「今増やしたら、5年後どうするの?!」と強めに呆れたように言われる。
こんな寝られない横にもなれない、ずっと動き回る生活で憔悴しきっている、こんな状態で5年生きるとは1ミリも思えなかった。小さく絶望した。
その頃、ラインでやりとりしていた難病の人に相談してたら、思い切って主治医変えてもいいかも、と助言もらった。
家族も賛成したので、元々のクリニックに戻ることにした。
それで、新しいというか、元々診て頂いていた先生に久しぶりに診てもらった時、
「この病気はね、最近では始めにバンと薬使った方が予後が良いってなったんだよ。」と薬、その日から増量。
その上、こちらの目を見ながら「これからは楽しんで生活してくださいね。それが大切なんですよ。」と優しく言われた。
暗闇に居たところに彩りがでたような感じで、ものすごく心が落ち着いた。
そして日に日に良くなっていった。杖も3月半ばくらいからは使わないで歩けるようになった。何より眠れるようになり、睡眠導入剤もやめた。
1月に増悪して、2月始め頃に主治医変更、薬をちゃんと出してもらって3月始めには明らかに変わってきた事を実感。
3月半ばに杖無しになり、4月は1人で東京へ遊びに行けた。
5月は泊まりで大阪の西成で飲んだくれの大好きな介護仲間と再会できた。
身体の事、もっとちゃんと考えようと思って毎日の食事睡眠栄養運動など、あまり真面目すぎるのも良くないから適度にゆるく、でも大切なポイントを外さないように気をつけている。
今までみたいに超テキトーではもういけないのはわかったから。
その一環で主治医を変えた事、本当に良かった。
助言してくれた友達に心から感謝している。
あと、今回の浮き沈みでわかった事は、私の周りには優しい親切な人ばかりだった事。
みんな困ってる私を助けてくれたり励ましてくれた。
人生で一番大切なのは人だと改めて心から思った。
苦しかった時期、1人の時にやたら涙が出た。
途中、ああ!私は本当は泣きたいんだ。と気づき、カウンセリングルームに行ってみた。
ただただこの苦しさを嘆きたい。
友達や家族には重すぎて言えない、ただの悲嘆。
カウンセラーの方に、名前言うところから泣いてしまって(泣く気満々笑)1時間半の持ち時間カウンセラーさんにただただ苦しさを泣きながら話し聞いて貰った。これが思いの外スッキリした。
また泣きたくなったら来ます、とさようならして帰宅。
他に、マッサージしてもらってると寝れる事にも気づいた。
横になって「わー」ってパニックになりそうになっても背中触ってもらってたりすると、意識をそっちに動かして「気持ちいいなぁ」に持っていける。しかもそのうちふと気付くとウトウト出来ている。
たった30分だけど、とても貴重な時間だった。
一緒に涙ぐんでくれた人もいた。
周りにはいい人ばかり。
私にとっては、これ以上の幸は…
無い。
私も誰かにとってそんな存在でありたい。
2025.7 広島オムツ外し学会⑦
2025.7 広島オムツ外し学会⑥
2025.7 広島オムツ外し学会 ⑤
2025.7 広島オムツ外し学会④
2025.7 広島オムツ外し学会③
2025.7広島オムツ外し学会②
2025.7広島オムツ外し学会①
デイサービスから老人保健施設で働く①
広島市でワースト1かもと思ってた施設。
理事長が相当変わった人で、2006年デイサービス榎町開設当時にトラブった事から、ここダメじゃん、こんな話しの通じない人の施設なんて。と思いとにかく避けてきた施設。
介護業界の知り合いから漏れ聞く悪い噂。
いずれ潰れるものと思ってたところ、小学校で同級生だった友達の親が理事長だと判明したのが15年前頃。
同窓会で会った時に、その友達から「入所者が増えない悩み」を打ち明けられ意見を求められたので、代替わりしかないと思うよ、とどれだけ理事長の評判が悪いかを話した。
それを聞いた友達が全力で親に進言したらしいが全く相手にされず。
私も施設入所相談されたら、あそこはやめた方がいいと言ってきた。
2022年、私自身の病気がわかり、やりたい事を動けるうちにやろうと思いデイサービスをやめる事を決め、嘘でしょ!的タイミングで植さんという救世主が現れ、引き継いでもらった。
1年遊んでたところ、飲もうやと小学校時代の友達が誘ってくれ、4人で飲んだ。
その中にワースト1かもの施設の友達が来てて。
挨拶とか当たり障りない話しするくらいの仲だったので、初めて色々話した。思いのほか意気投合して、また会おうね!となり、数日後のこと。
くだんの理事長が急逝して困ってると友達づてに連絡が入る。
から始まった😊










