先週去年に廃車された琴電5000形500号の保存先が決まり、搬出されたとのこと。
去年レトロを見送った時、現地の友達から500は高校に引き取られるから、多分間近で見ることは難しいだろうなんて話を聞いていた。
500は内部のインテリアは好きだったけれど、パンタグラフは築港向き、テールライトもおでこだったので、レトロの中ではあまり好きではない車両だった。
その為か一番大好きだった23ばかりに気に取られていました。
結局高校行きはなかった事になったらしく、500は仏生山の側線に置いてあったようです。
120の入れ換え機としての残存が決まり、500もせめて琴電で保存してよ、なんて淡い期待をしていたら、南部開発というリサイクル業者に引き取られる事が決まったようだった。
南部開発さんはどこにあるんだろうと、おもむろにマップを開いたら、円座の先....
あれ? ここ檀紙町の近くじゃね?
それはおや?と思った時だった。
実は個人的に檀紙町には行ってみたい史蹟があった。
それは7年くらい前大河ドラマ平清盛で井浦新さん扮する崇徳上皇が出演した。
高松でも井浦新さんが五色台の白峰御陵に訪ねる番組があった。
崇徳上皇は実の父親が独裁政治を行った白河法皇らしく、父親である鳥羽上皇から疎まれて育ち、天皇にはなれたものの、最終的には保元の乱に破れて四国へ流された天皇だった。
そこで恨みに満ち、怨霊になったというのが定説になっている。
しかし現地で語り継がれる伝説ではそんなことはなく、現地の人からは天皇さんと呼ばれ、親しまわれていたという。
しかし最後は病死ではなく暗殺されたという。
あまりにも無残な最後だったらしくあの伝説が産まれたのだろう。
ワタシも崇徳上皇が大好きで、何度も白峰御陵に足を運んだ。
崇徳上皇には重仁親王なる皇太子がいたが、天皇にはなることはなく、その座を後白河法皇に奪われ、仁和寺で出家した事になったという。
しかし、仁和寺にはその記録はなく、どこで亡くなったとの記録がない。
実は重仁親王は出家後父親を追い、四国渡った。
父親と再会するも、父親が罪人だった事から同居は許されず、ここ檀紙町に住んでいたという。
親王は頭痛持ちだったらしく、親王が亡くなるとその廟は薬師寺となったそうだ。
その薬師さまはいつしか頭痛に良く効く薬師寺になったという都市伝説が産まれたそうである。
今ではその薬師寺はなく、ただのお墓になっているようだが、一度行ってみたいとは思っていた。
そんな矢先の500号の譲渡。
今度四国へ行くときの楽しみが増えたような気がする。
さて11月3日はどうなるのだろうか?
無事にレトロ電車には乗れるのだろうか?
何事もないことを願うばかりである。