それは南津電鉄の碑と整備された路盤の跡を見ることでした。
ウチのブログでもお馴染みの南津電気鉄道。
かつて南多摩の有力者らが、鑓水で国分寺と城山を結ぶ電気鉄道を引こうとしたのが始まりでした。
認可は下りたものの時は昭和大恐慌の真っ只中。
鑓水付近に1キロ程レールを引く状態まで路盤整備をしたようです。
しかし昭和の恐慌の煽りを受けて瞬く間に資金繰りに困り、倒産。
中には全財産を擲った有力者もいたようです。
南多摩の黒歴史となっています。
ウチの架空私鉄南津電気鉄道はここで京王の傘下となり、戦後聖蹟桜ヶ丘と都留市を結ぶ路線になったお話にしています。
先ほどの絹の道を下りてきた先には碑が立っています。
その右端に、南津電鉄の鑓水停車場の碑が残っています。
この碑がここに鉄道を引こうとした証しです。
北野街道伝いの民家の裏山には当時の未成線の地盤が残っているので訪ねてみました。
今は多摩美大などの開発で、残っているのは僅か20m程。
この土手の部分を南津電鉄の電車が国分寺と城山を結ぶ予定だったと思うと寂しい気持ちになりますね。
廃線跡を見た後は友達と永山竹取の湯へ。
1日の疲れを癒して帰路につきました。