宝鉱山 | まほろ市発なんでもありのブログ

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富井電鉄と書いて宵闇と読む

30年程前、架空私鉄の路線図を妄想していた。

それは先日模型で再現した南津電気鉄道の話。
 
 
南津電気鉄道は実際に昭和初期南多摩に実在した鉄道会社であった。
国分寺から多摩川を渡り、由木の辺りを通り、相原を経由し、城山へ至る路線だったという。
 
しかし昭和初期の大恐慌の煽りを受け、会社は経営破綻。倒産してしまった。鑓水には会社の碑と、線路跡が残るという。
 
ワタクシの妄想の中の南津電気鉄道は、経営破綻寸前、社内に京王の関係者がおり、100%京王傘下の会社となり、工事が進められ開業したという話にしている。
 
線路は城山に留まらず、中野、寸沢嵐、石老山、与瀬(相模湖)へ。
桂川を渡り日連までは昭和30年に達した。
更に昭和46年には雛鶴トンネルが完成し、昭和47年に富士山のお膝元都留市まで線路が繋がったという。
富士急と接続する都留市駅のひとつ先、都留市中心部にある南津都留駅には京王百貨店が進出し、都留市に貢献したというお話にした。
 
このルートは実際京王相模原線都留市延伸の際考案されていたという。
 
そんな中、途中の赤坂から、富士急線をオーバークロスして更に先まで線路を作ったらと空想した。
 
最初はただ単に富士急より奥まで線路を作りたいとか、甲府方面への延伸計画等の話を盛り込もうと思っていた。
 
そんな山の突き当たりに宝鉱山という地名。
何だか終点に相応しい地名だな。
 
一昨日南津電気鉄道が買収することになる都留鉄道の話を作った時、その地名を調べてみた。
 
 
すると何とそこには本当に鉱山が存在していた。
 
戦国時代の武田信玄公の隠し金山か何かだと最初は思っていた。
場所は離れるが花魁淵なんて所もあったし。
しかしその話は比較的近代だった。
 
 
明治5年宝村の岩村善五右衛門という人が鉱塊を見つけたのが始まりだという。
その後紆余曲折しながらも三菱系の傘下に入り、日清日露戦争辺りからどんどん急成長したという。一時期は日本有数の産出量をも誇った。
国鉄笹子駅までの索道も作られ、坑内にはトロッコも張り巡らされていた。
付近には200名以上の坑夫の為の住居などもあったという。
取れた資源は硫化鉄塊、黄鉄鉱、孔雀石だったそうだ。
しかし高度成長期辺りから産出量も減り、昭和45年に鉱山は閉山したという。
 
 http://mineralhunters.web.fc2.com/takara.html


そんな歴史的事実を知ってびっくりしてしまった。
 
それなら富士急線の赤坂から分岐して、宝鉱山へ至る鉱山鉄道があったらと妄想が膨らんだ。
 
大正時代に762㎜で開業し、昭和初期富士山麓電鉄開業時に1067㎜に改軌。
赤坂から片上鉄道や羽後交通横荘線、上武鉄道のような非電化の私鉄が分かれていたらと空想した。
 
貨物列車の後ろに上武鉄道のようなガソリンカー改造客車を繋げたり、後にクハ3400形になった元国鉄キハ41000系が走っていたり。
たまに応援で富士急キハ58形が乗り入れて来たり。
どんどんそんな世界が広がっていく。
 
 
南津本線が都留に達した後は1372㎜に改軌と電化。
そんな路線を元京王14m車両が単行または2連でのんびり走っていたというお話にしている。
 
 
 
 
そんな架空私鉄妄想と共にその町や村の歴史を紐解いていくのはとても楽しいですね。
 
今度機会があったら宝鉱山も訪ねてみよう。
沿線の山里に南津電鉄がのんびりと走る姿を妄想しながら·····