東急3000系が消えた日 | まほろ市発なんでもありのブログ

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30年前の今日、東急から3000系列が消えた。

3000系とは東急の前身である、戦前の東横電鉄や、目黒蒲田電鉄が作った車両がそのまま引き継がれた車両だった。

アオガエルこと初代5000系と同じ緑色に塗られ、吊り掛けモーターを響かせながら走る姿は目蒲・池上線のヌシと言った感があった。

かつては田園都市線や大井町線も走っていたのだが、ワタクシが東急を知った頃は皆目蒲・池上線に集められていた。
そのため、ワタクシの家からはとても遠く、気軽に行けるような電車ではなかった。

電車とバスの博物館には動く実物は置いてあったけど。

当時は関東の戦前形旧型電車が走る聖地として、東の新京成、西の東急と言われていた。

当時走っていたのはスマートに更新された名車3450形を中心として、海坊主のような不思議な顔つきに更新された3500、3650形とクハ3850形。サハ3250形やサハ3350形などの付随車両などが走っていた。

3450形や3650形は殆どが池上線に集結していて更に遠く、ワタクシが乗れたのは主に3500形だった。

かつて京浜急行電鉄乗り入れを視野に入れていたらしく、長軸の台車を履き、パワフルな走りを見せ付けていた。
洗足駅の地下区間へ飛び込む所が大好きだった。

でも当時はまだまだあちこちに吊り掛け車両が走っていた時代。
京王や小田急、江ノ電や伊豆箱根鉄道大雄山線などが楽しかったワタクシとしては東急の旧型電車はどこかもの足りず、あまり行かず仕舞いだった。
また6000系や7200系、8500系というお気に入りの車両も多かったせいか、3000系列に気持ちを向かせる程のエネルギーはなかった。

最後は3450形の一部に往年のレトロカラーが塗られたという事も鉄道ファンにデカデカと乗り、かなり大騒ぎになっていた。
でもまたいつでも乗れるだろうとか、家から遠すぎるという点から、行かなかった。
今から考えるととても勿体ない事をしたと思う。

ちょうど京王の吊り掛け車両も同じ時期に無くなったので、もっともっと行動的になれば良かったと今になっては思う。
ただ、当時は小学校6年生。
まだまだ一人であちこちに行く事は難しい年齢だったかな。


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そんなかんやで最後の日を迎えたようだ。
そんな頃、東急の社長だった、五島昇さんが亡くなったというニュースを聞いた。
ライバルの西武の社長さんもお葬式に駆けつけたとテレビで見た時は、3000系列と共に逝っただなあと感慨深く見た記憶がある。

車両は運用を終了し、3+3の編成で長津田へ回送されたようだった。
長津田の検車区には雪が谷大塚や奥沢からやってきた3000系列が大量に押し込まれていた。

それらもやがて解体されていったという。

そんな矢先電車とバスの博物館からさようなら3000系のビデオが発売された。
まだまだ鉄道グッズは珍しく、またこんな旧型電車を題材にした作品はすごい貴重だった。
ワタクシは勿論購入し、見る事の出来なかった3000系列の最後をこの目に焼き付ける事ができた。

デハ3655とクハ3861はそんな中でも唯一十和田観光電鉄へ旅立って行った。
数年後、南部縦貫序でに回った時、乗らせて貰ったけど、単線を吊り掛けモーター音を高らかに走る姿はとてもかっこ良かった。


また東急70周年の特別列車にも当選し、デハ3499に乗せて貰った事もあった。
それが最初で最後の動く3450形だった。


もうすぐ平成が終わるこの春。

東急からは、当時最新型だった8590系も消えた。

そんな中当時の東急の人気者だったこの電車の事をふと思い出した。