レッドバロン死後100年 | まほろ市発なんでもありのブログ

まほろ市発なんでもありのブログ

富井電鉄と書いて宵闇と読む

イメージ 1

100年前。当時ヨーロッパは第一次世界大戦の真っ只中であった。
化学兵器を初めとする数々の新兵器が登場し、それまでの戦争とは一線を期す程のすさまじい戦になった。戦場のみならず主要都市も空襲等に見舞われ物凄い数の人々が犠牲になった。

そしてこの戦争で残した禍根は20年後の更なる戦争を引き起こす切っ掛けになった。

そんな禍禍しい戦場で美しいかつての騎士道を思わせる闘いがあった。
そう。飛行機の空中戦である。

1903年に発明された飛行機は年を数える程に進化し、大戦直前にはロシアにおいて旅客機までもが誕生した。

その空中戦の飛行機乗りの中にド派手な真っ赤な三葉機に乗り、80機もの連合軍機を撃墜した人物がいた。




彼こそレッドバロンことマンフレート・フォン・リヒトホーヘンである。
今日は彼が戦死して100年という節目の日だ。



マンフレートは1892年ドイツ(ポーランド)の地主階級の男爵の家の長男として産まれた。
大昔の人と思われがちだが、きんさん、ぎんさん、芥川龍之介と同い年である。
彼の叔父には山岳研究家として名高いフェルディナント・フォン・リヒトホーヘンがおり、従兄弟に後の二次大戦でコンドル軍団を率いて、空軍元帥になったウォルフラム・フォン・リヒトホーヘンがいる。




幼い頃から家庭教師や寄宿舎の学校で育ち甘やかされた事は殆どなかったという。
好奇心旺盛だったらしく、ハバルシュッタットの尖塔に登ったりするなどのヤンチャ少年だったらしい。
戦争が始まると当初は騎兵隊に居たらしいが、後に航空隊に志願した。
当時の撃墜王オズワルド・ベルゲに認められ、彼の部下として活躍した。

しかし1916年彼が事故死すると、隊を率いて隊長となったのである。

彼は目立ちたがり屋だったらしく、愛機を真っ赤に塗った。
目立てば敵が寄って来る、そして私が勝つという考え方だったらしい。

部下達は最初正気か?と思っていたようだが、後に彼の意見を尊重し、赤、青、黄、緑、黒、白など戦闘機とは思えないカラフルな色に塗った。
彼の率いた部隊はフライングサーカスと呼ばれ敵に恐れられた。

彼の部下には後にナチスの航空元帥になるへルマン・ゲーリングや、62機を撃墜し後のスターになったエルンスト・ウーデット、実弟のロタール・リヒトホーヘン等の精鋭が揃い最強の空軍部隊だった。

彼は部下を大切にし、捕虜に対しても相手を尊重して扱い、情報交換等をしていたという。
一説には戦争続行反対していたらしいとも聞く。
そんな事から敵味方を問わず尊敬されており、今でも世界中からここまで愛される撃墜王も居ないだろう。
男気溢れる、まさに最後の騎士といった人だった。

ドイツは彼を宣伝し、国の英雄として祀り上げた。


イメージ 2



しかし100年前の今日、遂に運命の日は訪れた。
元々彼はひとつの事に集中すると回りが見えなくなる欠点があった。
また超負けず嫌い。

敵機を追い詰めて独り敵陣へ切り込んで行った。
しかし形勢は逆転。
カナダ人のパイロット、ロイ・ブラウンに追い詰められ撃墜された。

愛機だった真っ赤なフォッカーDrは敵軍の戦利品の対象となった。
彼の遺体は敵軍によって手厚く葬られた。
戦後国葬までなされたようだった。

なおソッピーストライプレーンの影響を受けて生産された三葉機、フォッカーDrはとても扱いづらい欠陥機だったようで、操縦の上手いエース以外からは敬遠されていたという。しかしリヒトホーヘンは乗り続け、そこから伝説が始まった。

中隊はリヒトホーヘンなき後ラインハルトが継ぐ予定だったが、彼はすぐ事故死してしまった。
後を継いだのは後の空軍元帥になったゲーリングであった。
ゲーリングも部下を大切にし、リヒトホーヘンのように愛機であるフォッカーD7
を真っ白に塗った。
後に元帥になった後もユダヤ人の部下を見捨てられず、上層部に対し圧力を掛けて救ったという。


当時の連合軍のパイロットからは赤い悪魔とか、あの飛行機のパイロットは女性かとウワサされていたようだ。
戦後リヒトホーヘンを扱ったドイツの赤い騎士という小説が大流行。
彼の部下だったゲーリングやウーデットはスター街道まっしぐらだったという。

日本でもその活躍は評価され、バイク屋の名前になったり、ロボット戦隊もののモデルになった。


また幾度なく彼は映画化され1973年にはジョン・フィリップ・ロー主演のアメリカ映画や2008年にはマティアス・シュバイツ・フォーファー主演によるドイツ映画が公開されたのも記憶に新しい。

古典飛行機好きのワタクシも幾度なくこの2つの映画を拝見しリヒトホーヘンのカッコよさに魅了された。

一昨年の4月22日には憧れの第一次大戦機との邂逅も果たした。


そんな英雄の死から100年か。
歴史の教科書から見ると大昔に思われがちだけど、そんなに近代の人だったと
思うととても近親感が沸く。




合掌!