京王の都市伝説 | まほろ市発なんでもありのブログ

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富井電鉄と書いて宵闇と読む

今年10月は京王高尾線が開業して50年を迎える。
今や新宿から高尾山まで京王線特急で40分あまり。
高尾山は都民のハイキングスポットになった。

しかし高尾山へ行く京王線の線路は元々高尾山へ行く路線として建設された訳ではなかった。



それは昭和初期。先帝大正天皇がお隠れになった。
明治天皇は京都に御陵を作ったが、大正天皇からは東京の郊外八王子の浅川に御陵を作ることになった。

その御陵への参拝客輸送のため京王線は支線を建設することになった。

まず昭和2年東八王子と多摩御陵前の建設免許が下りた。
しかし八王子市内が大反対。
結局その予定は破棄された。

その代わりに北野より分岐して片倉、山田を通り、その先の山から大築堤で中央本線、甲州街道、浅川を渡り現在の長房団地辺りの高台から多摩御陵へ到る線路に変更になった。

新たな線路は人里離れた山あいを勾配で抜ける山岳線であり、難工事であっという。
突貫工事なうえ、朝鮮人等を大量に使い蛸部屋労働だったらしく劣悪な環境だったそうだ。
山田付近の山越えで土砂崩れが発生し多数の死者が出たという。

そんな難工事の末、昭和6年北野〓多摩御陵前間は開業した。
全線単線であったが、将来の複線化を見据えて複線敷きで作られた。

多摩御陵前駅は寺院を模した豪華な作りで、駅前には噴水があり、構内には食堂と留置線もあった。
途中武蔵横山駅は高架駅で、交換設備や八王子の路面電車武蔵中央交通と接続し、高尾山へのハイキング客も乗せたそうである。

京王線はこの路線開業に際し貴賓車500号と、クロスシート完備の151形を投入。
多摩御陵への参拝客を運んだ。
しかし直後に中央本線も皇室専用駅を作ってしまった。貴賓車500号はあまり活躍をしないまま格下げされてしまい、さらに空襲で焼けてしまった。


その後御陵線は戦時中不要不急路線になった。鋼材供出のため休止線になった。
更に多摩御陵前駅は八王子空襲で焼けてしまい、朝鮮戦争の最中には浅川の鉄橋が昼間に堂々と盗まれる事態もあったという。









そんな御陵線の廃線跡を幽霊電車が走るという噂話が戦後にあったという。
場所は中央本線を跨ぐ築堤のあたりだった。現在の散田や並木の交差点の辺りである。
青白い光を放つ電車らしき物体が廃線跡を深夜に北野方面からやって来て多摩御陵前へ向かって走って行くという目撃談があったそうだ。

それは八王子空襲で亡くなった方の魂なのか、それとも御陵線建設で犠牲になった作業員の魂なのかは分からない。








その後高尾線建設に辺り、山田までは高尾線として再起したものの、山田から先は昭和39年正式に廃止になった。

廃線跡は道路や住宅地等に変わり、山田付近の山越えの一部と浅川の先の橋脚などの一部を除いて姿を消した。

あの幽霊電車の話もいつしか消えてしまっていた。

今年は高尾線開業50年。
そんな話をふと思い出した。