真田丸51話 | まほろ市発なんでもありのブログ

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去年大ヒットした大河ドラマ真田丸。

スピンオフドラマがあったらどうなるんだろうと巷で騒がれているが、ワタクシなりにもしあのドラマの続きを作ってみた。


ラストシーンで神社の境内で切腹しようとした幸村。
しかしそれは影武者だった。
本物の幸村は大阪城へ向かっていたのである。
そこで毛利勝永、明石全澄、長曽我部元親らと合流。
大阪城にいた秀頼一行を淀川にある一艘の船に乗せて薩摩へ向かわせたのである。

薩摩の島津家は秀頼一行を谷山という村に住まわせた。

しかしそこは彼等にしてみると想像を絶する程の貧乏暮らしだったのである。

幸村は九度山時代の生活で貧乏暮らしが慣れていたので、百姓暮らしは全く気にならなかった。


その頃きりは千姫一行と江戸へ向かった。更に駿府へ。
阿茶局の計らいで侍女になり家康に近づいた。
そして家康に毒を盛って暗殺したのである。

その後こっそり駿府を抜け出し、薩摩へ向かった。


薩摩では百姓になっていた幸村と夫婦になった。

大助も百姓になっていた。 大助は結婚し7人の子宝に恵まれた。
一方佐助は村長の娘(新○結衣)と結婚し5人の子宝に恵まれた。

12人の子供たちに囲まれた幸村はめちゃめちゃ幸せだったそうだ。

幸村は源次郎の源の字を取り源じいと呼ばれていた。

温暖な気候の薩摩では幸村にとっては天国だった。




それから40年の月日が流れた。


大酒飲みの荒くれ者になり、谷山の茶店を荒らし、褌姿で寝そべる大男。
それが秀頼の姿であった。

そんな秀頼の生計を立てていた一人の腰の曲がった物売りのお婆さんがいた。
彼女こそ茶々だった。
秀吉の側室だった頃の美しさは失われてしまっていた。
漁師になった大野治長兄弟の取ってきた魚を売りに鹿児島へ行くのが日課だった。

彼女の乳母だった大蔵卿局もくらという名前になり物売りをやっていたが、20年前に既に亡くなっていた。・・・とナレーション。



そんなある日源じいの元に大阪5人衆の生きのこり長曽我部元親が幸村を尋ねてきた。

元親も百姓になり、真っ黒に日焼けしていた。名前も長兵衛と呼ばれていた。


毛利勝永は猟師に、明石全澄は隠れキリシタンの百姓になったという。


白髪頭の長兵衛はよぼよぼになった源じいに、「昔は大名だった儂がこんなになるとは夢にも思わなかった。」とぽつりとつぶやいた。

二人は酒を酌み交わし、源じいはかつて信繁として活躍したあの日を思い出していた。



一方遠く松代では兄信之が臨終の時を迎えていた・・・・・