チビチリガマ | まほろ市発なんでもありのブログ

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富井電鉄と書いて宵闇と読む

心霊の怖い話の第2弾。

皆様は沖縄というとどんな連想をするだろうか,..青い海、南国。

しかしここは今から70年近く前の第2次大戦中陸上戦の激戦地になった所でもある。

沖縄本島中部読谷村波平。

遠くに海を臨むサトウキビ畑の一角の窪地に存在するチビチリガマ。
沖縄言葉でチビは尻、チリは切れる。
尻切れ洞窟という名前の天然の洞窟である。

沖縄は珊瑚の島のせいかそんな洞窟が至る所にある。

昭和20年3月、米軍は読谷村の海岸に上陸した。
逃げ待とう地元住民はこのチビチリガマという洞窟に避難した。

勿論米軍はこの洞窟に日本兵が隠れていると思い取り囲んだ。

当時は軍国主義の世の中。敵兵に捕まって辱しめを受ける位なら死んでしまおうという思想が皆あった。

米軍に取り囲まれた地元住民は死を選んだ。
母親が娘を刺し殺したり、お婆さんが孫の首をカミソリで切り落としたり。 最後は狭い洞窟の入口に布団で蓋をし、火を放ち全員蒸し焼きで死んだ。
そんな洞窟だった。




ワタクシは小学校が共産党系の学校だった。
小学校6年生の卒業学習旅行は沖縄だった。
ひめゆりの塔やガラビ壕等にも行った。

そんな中訪れたのがチビチリガマだった。


とても良い景色の場所の窪地に訪れた途端空気が変わった。

洞窟の入口には平和の塔というオブジェがあった。オブジェにはもがき苦しむ人達と散らばった骸骨がモールドされていた。スゴい怖いオブジェだった。

早速中へ入った。その狭い空間に骨が散らばっていた。 死体があった後が黒ずんでいた。
怖くて怖くて仕方が無かった。

洞窟の一番奥からスゴい怖い視線を感じた。
勿論姿は見えない。
そこにはただ白い鍾乳石の山が懐中電灯に照らされていただけだった。

一刻も早く逃げたかった。




戦争は恐ろしいものだとつくづく思った。




その後も読谷村に暫く滞在したが、あの怖い場所の事が暫く頭から離れずずっと震えていた。



その後チビチリガマが沖縄最強の心霊スポットだと言うことを知った。
地元住民でも彼処で何があっても責任は取れない、絶対に行くなと言われているらしい。

また彼処で気持ち悪くなる人も多いという。

今集団的自衛権が叫ばれる世の中。
こういう過去があった事も忘れないで欲しい!