日立電鉄回顧録 | まほろ市発なんでもありのブログ

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富井電鉄と書いて宵闇と読む

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ワタクシの尊敬している方のブログに日立電鉄の記事が出ていた。

日立電鉄。今から10年前に廃線になった茨城県北部の電化私鉄。
常磐線大甕にて接続し、北へ鮎川、西へ常北太田まで伸びていた。

この私鉄、かつては琴電並みに日本全国各地からかき集めた旧形車両が活躍していた。
しかし90年代に入り元営団銀座線の電車に置き換わってしまった。

旧形車両全盛期にはNHKの小さな旅にも取り上げられ、その個性豊な旧形車両もブラウン管に登場した。

また日立製作所が近かった事もあり昼と朝では走る電車が全く異なっていたのも魅力の一つだった。

自社オリジナルのモハ9形車両を筆頭に、元相鉄のガソリンカー改造電車、営団の注文流れ、旧東横キハ1改造クハ、小田急モハ1形車両、果ては宇部電気鉄道時代の電車までもが活躍した。

しかしワタクシ自身、東日本には土地柄も合間って興味が薄く行ったのもわずかに1回のみ。しかもお目当ての電車に乗れず悲しい思いをしただけで終わった。
また当時中学生だった事もあり、当然ながらお金もなかった。



その個性豊な電車の中で最もお気に入りの電車があった。それは元静岡鉄道から来た電車だった。


ワタクシ自身釣り掛け好きでも、機器流用の釣り掛け車で育った。
そのため車体は新しく下回りは古い電車がとても大好きだ。


静岡鉄道からやって来たのはそんな350形と100形だった。

昭和40年代に車体のみ自社長沼工場で新造し、台車等の下回りは流用品で賄った電車。
1000系の増備で日立へ来たが、軽量鉄鋼で作った電車らしく、その近代的な外観裏腹に老朽化も早かったらしい。

350形は平日昼間に運転に入った時もあったようで、久慈浜駅にアポを取って行った。
しかし時期は年末の閑散期。当然ながら動いておらず悔しい思いをした。
仕方がないので、常北太田駅で350形を撮影して泣く泣く帰った。

それから数年後元銀座線の電車に置き換わってしまった。
しかし今でも350形の車体は茨城県の農家へ売却されて残ってるという。

今だったら恐らく近くのホテルに宿泊し平日朝ラッシュでもみくちゃにされながらも音録りしただろう。早起きしたつもりが朝3時に目覚めて昼間眠たくてしょうがなくなりそうだ。

この電車に乗れなかった事はスゴい後悔したが、数年後100形の方は熊本電鉄で乗ることが出来た。
車内にセンターポールが立ち、白熱灯の跡があったのにはビックリした。

勿論音録りし。その古すぎる釣り掛けモーターの音に浸った。

今日立電鉄がこんな電車を走らせていたら、多分半年に1回は通ったな。
勿論、近くの温泉や美味しいモノを訪ねたりするだろう。
序でに途中のレンタルレイアウトに寄り、富井電鉄を走らせるか。