えのキングブログ1459号

 

 

 

 

こんにちは。

えのキングです。

 

 

 

 

 

幼少時代から

中学・高校大学と振り返ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

今日は、えのキングの

教員時代

振り返ろうと思います。

 

 

 

 

 

教員時代は、

一言で言うと

熱血です。

 

 

 

 

 

 

とにかく熱く、熱く

教員していました。

 

 

 

 

金八先生と

スクールウオーズと

ドラゴン桜

合わせたような世界でした。

 

 

 

 

熱血教員を通り越して

 

 

 

熱すぎて、

何人かの先生や

何人かの生徒を

がしたり、

かしてしまいました。

 

 

 

 

 

 

今の時代には、

まったく

通用しない事ばかりです。

 

 

 

 

 

お恥ずかしい事例ばかりですが

少しだけ紹介します。

 

 

 

美術の授業で、

等身大の石膏像制作を試みました。

 

 

 

7クラス分、280体分

粘土と石膏を用意しましたが、

 

 

 

 

途中作品を置く場所がなく、

廊下に並べたら

石膏で学校中真っ白に

なりました。

 

 

最後まで完成できず

280体が

全部廃材となりました。

 

 

 

 

 

2 

学校祭のオープニングで

体育館の端から端を

針金を伸ばし、火の鳥を飛ばし、

 

 

 

その火の鳥が

ステージ上のろうそくに点火し

21世紀の字が

炎で浮き上がるセッティングでしたが、

 

 

 

 

それが本番で失敗し

火が違うところに着火し、

ステージが大火事になりかけ、

消化器で慌てて消しました事件。

 

 

 

校長先生には

オープニング楽しみにしてください。

言っており、火を使うことを

言っていませんでした。

 

 

 

あとで校長に酷く

叱られました。

 

 

 

 

 

これも、学校祭ネタ。

 

クラス劇で、当時珍しかった

映像も取り入れる内容

構成しました。

 

 

 

なかなか撮影が進まず、

一部の生徒を残し、

夕飯をおごり

夜中23時まで学校

撮影していました。

 

 

 

保護者から、夜遅いと

お叱りの電話をいただきました。

 

 

 

 

これまた学校祭ネタ

気球を飛ばそうという

クラステーマで

 

直径約10メートルの気球

飛ばすのに、大きなビニール布を

切り、みんなで

ミシンで縫い完成させました。

 

 

 

 

人間は乗せれませんでしたが、

猫を乗せて飛ばしたら、

紐がはずれて

飛んで行ってしまいました。

 

 

 

 

 

前半の宇ノ気中学校勤務では

運動会は、

えのキング所属する団は

11年連続で団優勝しました。

 

 

 

 

生徒以上に一人燃えていました。

 

しかし、合唱コンクールは

最優秀賞は1度もとれたことが

ありませんでした。

 

 

 

えのキングクラスは

いつも

自由でパワーはありましたが

統制とハーモニーがないクラスでした。

 

 

 

 

6 

ある年、

クラスでもらったある賞状を

みんなの前で、

 

 

 

お前らのいい加減な取り組み

この賞状に値しない。

 

 

 

怒りながら、賞状を破り、

ゴミ箱に放り込みました。

 

 

 

 

生徒から、

大ブーイングを受けました。

 

 

 

 

生徒が帰ってから

ゴミ箱から紙くずを

セロハンテープで

止めて、ごめなさい。と書いて

クラスの後ろの掲示板に貼りました。

 

 

 

 

2時間続きの美術の授業の

1時間は、ほとんど

えのキングの初恋話や

学生時代の漫談の時間でした。

 

 

 

 

強制的に聞かされていましたが、

案外それらの話は

生徒からウケていました。

 

 

 

 

 

 

道徳の授業は、

気合が入って

いつも新しい教材を開発していました。

 

 

 

おもしろくない道徳を

いかに面白くするか

毎回挑戦していました。

 

 

 

石川県の教育委員会から

依頼され、道徳教材を

作りました。

 

 

 

 

学校には指導主事訪問という

お偉い方が来て、

授業を見てもらい

評価をいただきます。

 

 

 

 

全体研修会では

いつもえのキング

その県教育委員会から

派遣された偉い指導主事に

噛みついていました。

 

 

 

 

文科省の机上の理想を

伝書鳩のように

詰めこむのではなく

 

 

 

今起きている現場の現状を

伝えるのが

あなたたちの仕事でしょ。

 

 

 

 

自分たちも現場にいたでしょ。

私たちの仲間でしょ。

 

 

 

と笑顔で

吠えていました。

 

 

 

生徒からは、

キャー、

えのき・せ・ん・せ・いーーー

黄色い声をかけられた時期も

ありましたが、

 

 

 

 

ほとんどの生徒からは、

怖いヤバい先生という

印象を持たれていたと思います。

 

 

 

 

10

学校出勤は、誰よりも早く出勤し、

帰りは、

毎晩22時、23時過ぎでした。

 

 

 

19時30分に部活動から

帰ってきてからが、

生徒会や学級の仕事でした。

 

 

 

 

職員室で

いつも夜食を食べていました。

 

 

 

ある日、今日も遅くなる。

自宅に電話をかけたつもりが

いつも注文しているお店に

電話していました。

 

 

 

11

教員時代は

土日の休日もありませんでした。

 

 

 

酷い年は

部活が休みだったのは

盆1日と正月2日だけでした。

 

 

修学旅行中も

日本一になるぞと

日本一の富士山を

前に早朝練習したり、

 

 

 

 

 

新宿歌舞伎町を

朝ランニングしました。

 

 

 

修学旅行中も

剣道部員には

竹刀を持たせました。

 

 

 

 

一つも、つらいとか

休みたいとは、思いませんでした。

 

 

 

今、振り返ると

本当にめちゃくちゃです。

 

 

 

 

後先考えず

こうだと思ったことを

すぐ行動しました。

やりきりました。

 

 

 

良いも悪いも

結果が出ました。

 

 

 

 

無理、無駄、無茶

ことしかしていません。

 

 

 

 

ブログを書きながら

恥ずかしくなり、

反省しました。

 

 

 

 

今日は、ここまで。

 

 

 

 

読んでいただき

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

らしさ輝きプロデューサー 

えのきんぐ:榎 敏弘

 

 

 

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