(タイトルX-X.Xは具体的なプロジェクトや課題の記録であり、番外編である。)

 

 

 「武蔵野美術大学キャンパスの階段は面白い。」って、授業中に先生がこう言っていた。休憩時間に先生にもっと詳しく聞いたら幾つかのヒントを得た。それは自分で調査しようとするきっかけになったという。

 

 私と同じく、身近なものの寸法を測るのに興味がある、友人のUさんと話し合ったら二人は合意した。「明日こそやろうぜ!」という勢いで大学キャンパス階段調査計画を立て始めた。

 

 階段のデータを収集するのは基本中の基本で、それより階段に対する主観的な印象や感覚はもっと大事だと思う。私は身長が189cmで、Uさんは172cmである。足の長さによって登り心地が全く違うこともある。その感覚的な違いを比べると興味深い結論が導かれそう。

 

 一人はメージャーで踏面を測り、一人はデータを記入するのは効率的だったが、身体的感覚を養うために二人はそれぞれのデータを測って、調査が終わったらデータや感想を交換することにした。

 

 

 

 翌日(05242023)、学校体育館正門(北中央門)の階段から調査を始め、見慣れた階段をよく観察すれば新しい発見が出てきた。この階段は大勢の人を迎えるようなフレンドリーな階段であり、私からすると登りやすい階段である。山登り感覚で二階に辿り着いたら穏やかな気持ちになる。

 

 

 

 両側にある手すりの高さも測った。ここで気づいたのは手すりの外側に空間の余裕があるということ。だからこれは気遣いのできる、人にやさしい階段だと思う。もしこの延長の部分がなければ、階段の一番外側にいる人はまるで崖っぷちに立っているようで、恐ろしいと感じてしまう。

 

 次は13号館にある階段、金属製なのでコンクリート打ち放しとは全く違う印象だった。登ってみたら違和感を感じて登りずらい階段だと思ったが、実際のデータによると体育館の階段とほぼ変わらない(踏面はより大きい)。気のせいかもしれない。

 

 

 

 大学の正門と一号館は極めて緩い階段でつながっている。蹴上げはただ100㎜で、踏面はなんと、7400㎜であった。ここで私は階段の定義について問を掛けた。緩いとはいえ、蹴上げでも様式でも、後ろにある一般的な階段と同じだから、これも階段だと思うって、Uさんが言った。私に納得できるような答えだった。

 

 

 

 次は先生から聞いた、私の知らない学校の隅っこにある「座るための階段」を訪ねた。行ったことない六号館はコンクリート打ち放しの八号館とは全然違う雰囲気していた。緑が多いので公園を思い出す。

 

 私はその階段に座ってぼんやりしていて、データを測ることさえ忘れた。先生が六号館の階段をお勧めした理由が分かったような気がする。

 

 一人で考えるのに最適な場所を見つけた。

 

 最後は四号館の螺旋階段を測って、今日の階段研究は終了となった。

 

 

 

 その後、私が気になる最後の一か所、図書館にある展示空間としての階段を、一人で調査を行った。一枚のスケッチをゆっくりと描き終わって私は満足するのだ。

 

 晩御飯を済ませた後Uさんと再び合流し、今日の感想について話し合って新しい発見がどんどん出てきた。

 

 Uさんの好きな13号館の階段は、私からすると緩すぎて登りずらい。身長の差によって階段の好みも全然異なっている。人体の寸法(モデュロール)を重視しているコルビュジェが設計した階段を登りたくなる。

 

 そして、校内にある様々な階段は、大雑把に二つに分類できると思う。

 

 まずは建築に依存し、「装置としての段階」である。建築の一部分として空間をつなぐ役割を果たしている。もしなければ、その建築自体は一部の機能を喪失し、空間全体にダメージを与えることがない。体育館前の階段と四号館の螺旋階段はその一例である。最近は「ペラペラの彫刻」という本を読んでいる私はこういう種類の階段は「階段と偽った彫刻作品」だと、定義づけた。

 

 もう一つは地形に依存し、「環境としての階段」である。地形に沿って、自然を改造することで誕生した階段は、複数の空間、或いは区域を連結し、無限な可能性が潜んでいる階段だと考える。もしなければ、空間全体において大きな影響を与え、回り道をするしかないという。典型的な例は一号館前の緩い階段と、八号館と九号館に挟まれたスロープ付きの階段である。

 

 私は前者は「線である階段」と呼び、後者は「面である階段」と呼ぶ。線と面の本質的な違い、つまり「自由度」の違いを考えてほしい。抽象度が高くてすみませんがここで私はより良い解釈を考え出せなかった。

 

 そして、データを測るで、登るための階段と座るための階段の違いも見出した。

 

 登るための階段は最初の一段の蹴上げは他より低いという特徴がある。(例:10-13-13...)一方、座るための階段は正反対だ。(例:20-16-16...)自分で測ってみないとこのような小さな違いに気づかない。「神は細部に宿る」ってそういうことだろう。

 

 人を迎える階段があれば、人を拒否する階段でもあると、私は考える。

 

 

 四号館の螺旋階段は不思議な力を持っていると確信している。去年七月のオープンキャンパスに初めて武蔵野美術大学にやって来た時ずっと気になったが、来訪者だった私はその階段を登る勇気がなかった。もし勝手に二階に行ったら怒られるかもしれないし、上にはどんな景色が見えるかが分からない。螺旋階段の隙間から光が差し込んで、まるで舞台上でのスポットライトのように私に緊張感を与え、結局登れずに帰ってしまった。今年四月、ムサビに入学して学生になっても四号館の螺旋階段を登る度胸がなかった。

 

 以前の記事にも出たように、四号館二階で行う授業を受けることをきっかけとなって、あの螺旋階段を登り、二階の景色を目にした。一階は賑やかなところに対し、二階は狭くて静かで屋上庭園っぽいところ、まるで別の世界のようだ。普段人がほぼいないから一人ご飯に最適。青空を見つめてリラックスし,騒がしい世界から一時的に隔離することで心を癒す。四号館二階は私にとって秘密基地のような場所だ。

 

 校内にある様々な個性を持つ階段を研究して、大きな学びを手に入れた。見慣れたものをよく観察すると意外と知らないことを見出せる。こういう知的好奇心に駆られて私は研究・記録し続けるつもりだ。

 

 建築に限らず、考えを巡らせるならありふれた日常の中にも新しい発見が待っているはずだと、私は思う。