ちょうど一か月前に入学したばかりの頃、大学の図書館にいると無数の知識に囲まれてわくわくが止まらない。

 

 建築の本も山ほどあるが、どこから読むのに迷ってしまう。そして私より建築について遥かに学んできた専門家たちのアドバイスを参考にした。ググってみれば建築学生が読むべき本は何冊も見つけ、そこで私は「バベる!自力でビルを建てる男」という本に出会った。

 

 

 タイトル通り、一級建築士の岡さんが設計から建設に至るまで完全自力で「蟻鱒鳶ル」と名付けられた鉄筋コンクリートビルを建てたという物語であり、自著より小説っぽい雰囲気が漂っていて建築素人にも優しい一冊である。

 

 著者の考えとしては、社会の発展とともに建築が巨大化・複雑化しすぎて作る側(工事現場で働く職人)と考える側(建築設計士たち)との間に「分断」が生まれてしまった。それ故にどちらの側でも建築の全体像を把握しにくくなり、「私は一体何を作っているだろう。」と、建築に関わる人々は頭を悩ませている。

 

 旧約聖書によって、古代の人々はかつて同じ言語を使っていた。天国にたどり着くために一致団結してバベルの塔を建設し始め、神はそれを見て人間の傲慢さに怒り出し、罰で人々が使う言葉をバラバラにした。言語の分断で意思疎通ができなくなり、バベルの塔は完成されずに崩れ去ったと、「バベルの塔」の物語が記載されていた。著者はバベルの塔は「古代人が建築を作りたい願望(建築欲)」の象徴で、未完成のバベルの塔は「分断された世界」の象徴だと捉えた。

 

 建築家より哲学者…だよね。

 

 キリスト教の伝説はさておき、現実世界においてそのような分断があちこちに見える。建築が巨大すぎて、その巨大さに恐ろしさがある。建築が、自分以外の複数の人の共同作業によって出来上がるものである以上、どこかに、建築家が掲げた理想やコンセプトと相容れない何かが紛れ込んでしまう。つまり、すべての建築には「建築家が作りたいもの」と「実際に出来上がったもの」の間に、少なからぬキャップがある。それもまた一つの分断だと言えるだろう。

 

 だから、多くの建築家は決められた様式に沿って設計するという一番無難な道を選んでいた。その結果としては建築家たちの怠慢で建築がつまらなくなる。

 

 建物を建てたいという「建築欲」に駆られて建築家になるのを志した著者は、「分断」をなくし、「つくる悦び」を取り戻すために自分のバベルの塔を建てようとした。

 

 土地、資金、建材、再開発…数え切れないほどの困難を乗り越え、何十年に渡って蟻鱒鳶ルの建設を続けていて建築に全てを捧げる人しかできない大きなことを成し遂げた。そのプロセスを記載した「バベる!自力でビルを建てる男」という本を通して著者は建築に注いだ情熱や職人魂を私にぶち込み、涙があふれつつ読了した。

 

 p269「成功しようと大失敗と、人には必ず最後が訪れる、それまでの時間を、自分が信じられるもの、自分にとって大切なものに賭けるのか、それとも、自分にとってどうでもいいものに賭けるのか――。僕は前者に賭けると決めた。そのほうが、かけがえのないう一度きりの人生を、心ゆくまで楽しめると思えたからだ。」

 

続き…