合理性>配慮
そんな夫氏の公式を覆すことがあった。
筆者は、年に数回出張で海外に行くことがある。(現在は全面的に中止)
交際中、最初の出張は米国。
遠路ゆえ移動日は週末に設定した。
土曜朝羽田発、日曜夕方成田着。
土曜日はお昼まで寝て過ごすのが常の夫氏。
しかし、羽田まで筆者を見送りに来ると言う。
筆者「朝早いし、無理しなくていいよ!一人で大丈夫だから!」
夫氏「一緒に空港で朝ごはん食べようよ。飛行機眺めるのも楽しいし、見送りに行くよ!」
お言葉に甘え、空港まで送ってもらい、わずかな時間ながら、朝デートをした。
たった1週間の不在だが、名残惜しそうにする夫氏が可愛らしく映った。
帰国前日のLINEの一幕。
夫氏「迎えに行くか迷うなー。」
筆者「成田遠いからいいよ!日曜日だし、ゆっくり過ごしてね。」
さすがに、なんの合理性も利益もないのに、迎えに来ることはないだろう。
翌日に仕事を控えた日曜日。
しかも成田。
筆者は、言葉どおりゆっくり一人の時間を過ごして欲しいと思っていた。
着陸して携帯の電源を入れると、夫氏からLINEのメッセージ。
夫氏「到着ロビーにいるから着いたら連絡してね。」
なんと、夫氏は迎えに来ていた。
一人で帰るつもりの筆者はもちろん、すっぴん。
手荷物が出てくるのを待つ間、気持ちばかりのメイクを施した。
筆者「びっくりしたよ!わざわざ来てくれてありがとうね。」
夫氏「いや、成田の航空博物館行ってみたかったんだよね。ついでに。」
そうして、夫氏は家まで筆者を送り届けてくれた。
普段のデートで筆者を送迎することはないのに、出張は送迎する。
合理性>配慮 の公式に当てはまらない、過剰な配慮だと思った。
しかし、配慮とも違うのかもしれない。
デート後の見送りは、一緒に過ごした後の行動。
出張の見送りは、一定期間離れて過ごす前の行動。
おそらく、寂寥感の度合いが違う。
実質会わない期間は1週間のため、普段となんら変わりないはずだが、物理的な距離が離れていることで、期間も長く感じたそうだ。
整理すると、振る舞い公式は以下のように書ける。
感情>合理性>配慮
だって人間だもの。
そして、悲しいかな、そんな感情も時間の経過とともに目減りしていく。
以降の出張はアジア圏ゆえ、平日発、週末着の日程。
行きはもちろん一人。
帰国時の夫氏の対応は以下のように変化していった。
二回目、帰国後に二人で出かける予定があったが、空港までは来ず、途中駅で合流。
荷物を持ってくれた。
途中まででも、来てくれてありがとう。
結婚後の三回目、旧友との集まりで不在。
まぁ、仕方ないよね。
四回目、就寝中。
深夜便とはいえ、帰宅はもう起きててもいい時間ですよ。
夫氏「ちょっとの出張で寂しがっててどうするの。そんなんじゃ海外赴任なんてできないよ。」
1週間の出張で寂しがっていた夫氏が懐かしいが、前向きな変化と捉えよう。
そうして夫氏の振る舞い公式は、洗練されていく。
合理性>>感情>配慮