先般の学士会の件で、思い出したことがある。
昨年末、大学の研究室の同期数名と忘年会をしたときのこと。
同期たちは全員、お子さんを持つ既婚男性である。
話題は自ずと、新婚である筆者の暮らしぶりに。
そこで、筆者は以前から悩みの一つであった、夫婦の意思決定のプロセスについて(詳細はこちら)尋ねてみた。
筆者「夫は議論するよりもまず、考えることを好むのよね。わたしは話し合いたいのに。それにイライラしちゃうことがあるんだけど…みんなは夫婦間の意思決定ってどうしてるの?」
友人「話し合いなんてしないよ。」
筆者「そうなの?じゃあどっちかが決めるの?」
友人「うちの奥さんバカだから、考えることも議論することもできないよ。専業主婦で経済的にも一人では生きていけない。だから、俺が全部決めるし、異議を唱えられることもない。」
筆者「なんか、ひどい言いようだね…。」
友人「だって、ヨーロッパと欧州が同じこともわからないくらいバカだよ?もちろん、家事育児は頑張ってくれてると思うけどね。それ以外のことは無理。」
友人「あられの相手は、スペックが低すぎたんだよ。年齢も学歴もほぼ一緒。だから対等に議論しようとするんでしょ。あられが立ち向かえないくらい、ハイスペックな人と結婚してれば、そんな悩みもなかったんじゃない。」
友人はもともと辛口だが、奥さんにはベタ惚れのイメージだった。
筆者は、予想外の回答にうまく相槌が打てずにいた。
なぜ、突然自分の妻を、人前でこき下ろしたのだろう。
しかし、ふと気づく。
“一人では生きていけない”
“守ってあげたい”
男性の求める女性像を描く言葉にも似ている。
男性は、こうして家庭で唯一無二のリーダーとして君臨するために、妻を従えるために、“一人では生きていけない”“守ってあげたい”タイプを求めるのか。
確かに、友人の言う通り、超ハイスペックな男性と結婚していれば、筆者は意見など持たず、すべて男性の言いなりだったかもしれない。
しかし、こんな風に蔑まれるのかと思うとたまらない。
別の機会。
会社の飲み会で既婚の後輩男性と話すことがあった。
後輩「家計とかどうしてるんですか?」
筆者「彼の方が得意だから采配は任せてるけど、項目別に分担してるよ。普通はどうするものなのかな?」
後輩「いやー、うちの妻は偏差値40なんで、家計とか無理なんですよ。何が起きるかわからないんで絶対任せられないですね。妻に大した収入もないんで、僕が全部管理してます。」
どうして奥さんの偏差値など知り得たのか。
そもそも、駅弁大学の君が何を言う。
後輩は、駅弁大学の博士。
称号ドクターを持つ人間は、偏差値40の妻を見下すことが許されるらしい。
確かに、彼らは、学力以外の女性としての魅力を評価し、それぞれの妻を娶ったのだろう。
しかし、一方で、彼らよりも劣る学力は、彼女たちを見下し、蔑む要素になっていた。
学士会の考える、夫婦のバランス。
学士会員男性には、学士会員を家族に持つ、しっかりした家庭環境の私大卒の女性が適当である。
学士会員の女性は不適当。
これは確かに、男性の需要に即しているのかもしれない。
妻を服従させ、一家の長としてゆるぎない地位を手に入れたい男性の需要に。
それが、家庭にとって最善のバランスなのか、筆者にはまだわからない。