これまで、筆者がなぜ結婚できたのか、その理由について考えてきた。
しかし、中身のある考察にはならなかった。
成功体験は一度だけ。
個別性の高い一度だけの事象。
失敗は、数が多いからこそ、一般化した分析が可能だったのだ。
そこで、視点を変えてみた。
なぜ、夫は結婚できなかったのか。
夫は、三高とは呼べないものの、ハイスペックに分類される。
東大大学院修了、大企業勤務、身長同世代平均程度。
太ってはいない。
額は広がりつつあるが、清潔感はある。
若干ぶちゃいくよりのお顔立ちだが、スマートな体型と着こなし。
社交的で、人付き合いもよい。
しかし30代半ばまで独身だった。
なぜか。
夫の失敗について考えてみることにした。
かつて、結婚できなかった理由を本人に問うたことがある。
筆者「なんで今まで結婚しなかったの?」
夫氏「相手がいなかったから。」
筆者「いくらでもいたんじゃない?女性の多い職場だし、若くてかわいい人だっていたでしょ。」
夫氏「うん。若くてかわいい子はたくさんいるよ。でも、かわいいだけだよ。」
筆者「かわいいだけってどういうこと?若さと美しさはプライスレス!若ければ若いほど、美しければ美しいほど、価値が高い。あなたはそういう価値ある人を選べる立場にあったんだよ。」
夫氏「そういう人たちってかわいいだけで中身ないよ。“カワイイ”とか“ばえる”だけの価値観で、話してても面白くない。すぐ飽きちゃうよ。長い人生一緒に過ごすなら、変な人の方が飽きなくていいでしょ。」
夫の所望していた相手は、“変な人”であった。
-発想・考え方が変わっている
-自分の知らないことを知っている
-自分のマニアックな話を聞いてくれる
-知的好奇心が旺盛
そんな条件を並べる夫にとっては、若さも美しさも価値を持たないようだった。
若さ、美しさ、女性らしさ、優しさ。
それらは、女性の価値を量る普遍的な要素である。
若ければ若いほど、美しければ美しいほど、女性らしければ女性らしいほど、高い価値を持つ。
それはどの男性に対しても同じ価値である。
筆者はそう信じていた。
だから、筆者の価値は低いことも自覚していたし、これから下がり続ける自分の価値に恐怖を抱いていた。
しかし、“変な人”を所望する夫にとって、価値を持つのは、知識であり、知的好奇心であり、へんてこ度合であった。
変であれば変であるほど高い価値を持つ。
その人が重きを置く要素の配点が大きくなる。
確かに、考えてみれば至極当然のこと。
では、なぜ筆者は“若さ・美しさ至上主義”にとらわれていたのだろうか。
結婚相談所による指導、あるいは各種メディアを通して得られる婚活情報はどれも共通している。
若さと美しさで決まる女性の優劣。
女性らしさこそが正義という教え。
個性、強さは悪という戒め。
順然たる若さ・美しさ至上主義に基づく情報がそこにはある。
筆者は、これらの情報にさらされ続けた結果、洗脳されてしまったのかもしれない。
夫が結婚できなかった理由も、ここにあるのではないかと筆者は考える。
婚活情報に毒された女性たちは、男性が皆、若さ・美しさ至上主義だと信じている。
その評価軸の中で、少しでも評価を高めようと努力する。
若く、美しく、外観を整え、個性を消し、ただ女性らしく振舞うよう努める。
おそらく、夫が“かわいいだけ”と評する女性たちの中には“変な人”もいたはずである。
彼女たちは、“変な”要素を隠し、若さ・美しさ至上主義の中で戦っていたのではないだろうか。
確かに、多くの男性が求めるのは、“家庭的で女性らしい若くてきれいな女性”である。
市場規模が大きいことは言うまでもない。
しかし、規模の小さいニッチ市場は、他にもたくさん存在している。
変な女性の市場。
歳上女性の市場。
性格がキツイ女性の市場など。
現代の婚活業界は、これらのニッチ市場の存在を無視し、まるでこの世には若さ・美しさ市場しかないような画一的な世界を説く。
この偏った情報によって、女性たちは画一的な“男ウケ”を目指した。
結果として、それぞれの女性の持つ個性は埋没していく。
若さ・美しさ以外の尺度で女性の価値を量ろうとする男性にとっては、きわめて困難な状況が作り出されているのだ。
なぜ、夫は結婚できなかったのか。
その要因の一つは、画一的な婚活市場によって醸成された、画一的な女性の在り方にあるのではないだろうか。
もう一つ、以前に読者の方からいただいた質問にも回答を得た気がする。
ハイスペックであることは婚活市場で最低条件だったのか
ハイスペックであることは、画一的な若さ・美しさ市場においては、最低条件である。
別のニッチ市場においては、良い条件にもなり得る。