婚活中の同僚女性と飲む機会があった。
可愛らしくて気立てのいい事務職の女性。
以前話したときはお付き合いしている男性もいらっしゃり、到底婚活が必要とは思えなかった。
しかし、その彼と別れて以来出会いがなく、親の勧めで婚活を始めたという。

怒涛の婚活劇の末に結婚した筆者の意見を聞きたいと言うが、筆者の体験など参考になるはずがない。



同僚「結婚相談所とアプリどっちがいいですか?」

筆者「結果としてわたしは相談所よりアプリの方が向いてたみたいだけど、相談所の方が断然安全だとは思うよ。」

同僚「年収はどのくらいが妥当だと思いますか?」

筆者「1000万くらいじゃない?でも、わたしは理系男子がよかったから600万からと考えてたよ。」

あくまで筆者の場合であって、他の方の適正など知る由もない。
そう思いながら適当に答える。



同僚「じゃあ、絶対譲れない条件って何でした?」

筆者「絶対譲れない…なんだろ。」

後輩男子「人のカタチしてればなんでもいいって言ってなかった?笑」



たしかにそうだ。
筆者は人のカタチさえしてれば誰でもいいと思っていた。

絶対に譲れない条件などあっただろうか。
数十秒考えて、口から出てきたのはこれだった。



筆者「自分より賢いこと。かも。」



口々に、東大以上などいないだろうと言う。

違う。
学歴ではない。



多くの場合、筆者は会話の中でツッコミ役を担う。
別にツッコミたいわけではない。
他に頭のキレる人間がいないから、仕方がなくその役割を担っている。

頭のキレる友人や同僚と話していると、自ずと筆者はツッコまれる。
ボケ側に回る。

これが心地よい。



知識の量や計算の能力ではない。
会話の中で筆者にツッコミを入れられる頭の回転の速さ。

それが筆者の求める賢さかもしれない。



同僚の質問により、最優先していた条件を初めて自覚した。
相当どうでもいい条件である。




それとは反対に、不問とした条件もある。



例えば、容貌。

夫は、一般にイケメンと称されるお顔立ちではない。
どちらかとブチャメンに分類されるかもしれない。
額も初期設定より広くなっている。

はじめは、“妥協”しようと思った。
しかし、それは“妥協”ではなかった。

筆者の好きなパーツとそうでないパーツがあるだけ。
よく見れば可愛らしいではないか。

時間の経過とともに、その顔立ちに愛着が湧いた。



これは、おそらく筆者に対する夫の印象も同様だろう。

彼が好きなのは、石田ゆり子のようなふんわりとした女性らしい顔立ちである。
そこから大きくかけ離れた筆者。

彼も妥協、順応という過程を経たに違いない。



例えば、相容れない部分。

基本的に気の合う夫と筆者の間で、一番大きく違っていたのは、問題解決のプロセスである。

何か問題があった場合、答えを出す必要がある場合、筆者は相手と議論する中で最適な解を導く、という方法を取る。
考えながら話すことで、新たな気づきが得られたり、より洗練された答えが出たりするからだ。

一方の夫は、じっくり考えることを好む。
話し合うことよりも己の考えを洗練させることを優先する。

この違いは、結婚に向けていろいろ物事を決めていく段階で明らかになった。
今後さまざまな意思決定を求められるであろう夫婦にとって、致命的な相違とも思えた。



互いに努力するという意思確認をもって不問としたが…
こちらの順応にはまだ時間がかかりそうだ。



多数の候補者から1人を選び出す過程と、1人と結婚するかどうかを検討する過程。
掲げる条件は少しずつ変化していた。