さて、今回は<筆者の視点>で考える、交際に至った理由。



胸を焦がすような恋に落ちたわけでも、何かすごい戦略があったわけでもない。
ただ、流れに身を任せただけ。

しかし、そこにはたしかに“流れ”があった。
夫の押しという流れだけはなく、きっと自分の中にも流れがあったはず。




●普通の人だった

初めて夫に会った日の感想は、「普通の人だった」である。
所作、発言、考え方、いずれも違和感がなく、すっと馴染める感覚があった。
筆者視点での普通。



やや話がずれるが、筆者の出会ってきた男性には、“残念な人”と“めでたい人”が多かったように思う。

これ、筆者独自の分類。

残念な人
ひとつの成功によって得た自身の立ち位置に満足し、そこから下の世界を見下す人。

例えば、高学歴でそこそこ名の通った企業に勤めているだけで、自分以外全員バカ扱いする人。
例えば、一度結婚しただけで、全てを知ったように婚活指南してしまう人。

めでたい人
自身の立ち位置が正しく認識できず、実態よりも高い位置にいるような錯覚に酔っている人。

例えば、起業家たちの集まる勉強会に参加しただけで、自分も起業家気分でものを言う一般サラリーマン。
例えば、婚活アプリのいいね!の数にモテ期の到来を感じ、自分の市場価値を誤認する婚活女性。



筆者は、残念な人とめでたい人が苦手である。

夫はどちらでもない、普通の人。
やはり普通が一番。



●自分の好みを自覚した

夫は「対抗馬はいない」と判断したそうだが、実際は逆だった。
この頃なぜだか、筆者は出会いに恵まれていた。

相談所で仮交際中の方。
学士会のお見合いパーティーから仲良くなった方。
職場関係の合コンで知り合った方。



自身を受け入れてくれる人なら誰でもいい。
そう思っていた。
しかし、個性の異なる複数の男性を前にしたことで、そうではないことに気づかされる。



自分に厳しくストイックな精神 よりも 多様なものを受容する柔軟な思考

おごる気前の良さ よりも 気の利いたお店選び

ワインのうんちく よりも マニアックな数学の話

トライアスロンを踏破する体力 よりも 感動を共有できる感性

鍛え上げたマッチョな肉体 よりも 体型に合ったスマートな着こなし



どんな人と一緒に時間を過ごしたいのか、
相手に何を求めているのか、
自分の“好み”がだんだんと明らかになっていった。

今さら。

しかし、比較しなければわからなかったかもしれない。
そう思うと、タイミングも大切だ。



筆者の見解を要約すると、自分好みの普通の人が偶然にも自身を気に入ってくれたから、交際に至ったということらしい。