O氏は容姿端麗なだけではない。
帰国子女で高学歴。海外留学の経験もあり。
誰もが憧れる男性とみえる。
筆者「あんなアプリ使ったら、人気者で大変じゃないですか?」
O氏「まぁ表面的には。本質的には需要ないよ。」
筆者「仕事のことですか?でも、世の中的にはブランディングされてますよね。」
O氏「そうだと思う。だから、ペアーズで出す情報もコントロールしてる。でも、それって本質的じゃないんだよねー。」
“建築家”という職業に、皆さまはどのようなイメージをお持ちだろうか。
かつて、ドラマの主演の職業といえば、広告マンや商社マンであった。
それが昨今、なぜだか“建築”を生業とする設定を多く見かける。
おしゃれな職場で、こだわりを持って仕事をし、高収入を得る。
おしゃれな衣装に身を包み、デザイナーものの家具の置かれた広い住まいで優雅な暮らしを送る。
おしゃれでハイソな“建築家”。
しかし、これは現実ではない。
メディアによって創り上げられた偶像である。
寝食を忘れ、身を粉にして昼夜問わず働くも、得られる収入はごくわずか。
身なりをかまう余裕など、経済的にも精神的にもない。
住まいは年季の入ったアパートでルームシェア。
現実はこんなところだ。
建築設計を生業とする者は二種に大別される。
一つは、大手組織設計事務所やゼネコンに属する者。
もう一つは、いわゆる建築家の名前が配された個人経営の設計事務所に属する者。
後者が先に挙げた現実を生きる者に当たる。
世界的に著名な建築家の事務所で、初任給は10万円台半ば。
そこそこ名の通った建築家は、給与と称して事務所員に数名で一箱のシリアルを与えたという。
1週間の労働時間は70〜80時間程度だろうか。
もっと多いところもざらだろう。
身体を壊し、職を改めた友人も1人ではない。
世に言うブラック企業など大したことはないと思える悲惨な現実が、そこにはある。
華やかなイメージのある建築の世界が、なぜここまで過酷なのか。
それは、“建築設計”という知的労働に対価を支払う文化が、日本にはないからだと筆者は考える。
例えば、コンペ。
なんだかかっこよさそうな響きだが、要するに建設する建物を決めるために、設計者を競わせる競技。
たとえ時間をかけて設計しても、報酬が得られるのは勝者のみ。
他の設計者は無料で設計をしたことになる。
例えば、新国立競技場。
頓挫した旧案の設計に従事した者たちに報酬が支払われたことに対し、国民は憤慨した。
建たないモノになぜ金を払うのかと。
モノは建たないが、設計という労働は確かに存在していた。
支払われて当然の報酬なのだ。
日本においては、対価を支払う対象は“モノ”。
“設計”という知的労働はその対象と考えられていない。
半ば社会批判のようになってしまったが、建築を生業とする者の現実をご理解いただけただろうか。
O氏はこの茨の道を行くお方である。
独立したが、まだ生計を立てられる目処も立っていない。
おそらく、婚活市場においては、かなり不利な条件だろう。
これが、O氏の言う「本質的にはモテない」の意。
一次面接から1週間ほど経って、共通の知人を交え、3人で食事に出かけた。
O氏はやはり個性的で興味深い。
楽しい会食を終え、3人で帰路につく。
知人に、2人が知り合ったきっかけが婚活サイトであったことを暴露した。
世界が狭い、と笑い合う。
O氏「筆者ちゃんは婚活の調子どう?」
O氏は精力的に面接を重ねているようだった。
応援しよう。
今後は、友人としてお会いする機会がありそうだ。