―美的感覚の地域差―
人間は、左右対称の顔を美しいと認識する。
“平均性”もまた、影響を与えると言われている。
集団の中で“平均的”な造形の顔を美しいと認識する。
すなわち、属する集団によって美の定義は異なる。
同じ顔立ちでも、属する集団によって、美しいと評価されることもあれば、醜いとののしられることもあるのだ。
家族から友人、学校、社会。
属する集団の規模はさまざま。
地理もその1つ。
肌の色や骨格、目鼻立ち。
地域によってその平均値は異なる。
相手:36歳 建築家 東京大学大学院卒
方法:婚活サイト ペアーズ
場所:代々木公園近くのビストロ
41人目は、共通の知人が多すぎてほとんど知り合いの建築家。
連絡をいただいた時点で全く面識はなかった。
しかし、2,3通のメッセージを交わしたところで、かなり近しい人間であることが発覚。
逆に今までお会いする機会がなかったことが不思議なくらい。
O氏「言い方変ですが、僕は同じコミュニティの女性に手を出さないタイプでした。少し躊躇はありましたが、笑顔が素敵だったのと、やっぱり安心するし、やり取りが楽しいと思ってるところです。先はどうなるかわかりませんが、ぜひお会いしてお話したいです。」
筆者自身、同業者に抵抗がないわけではない。
しかも、写真を見る限り整ったお顔立ち。
登録して間もないにも関わらず、いいねの数も200に届く勢いだ。
以前、8人目:イケメン勤務医でも記したとおり、筆者はイケメンが苦手。
容姿にに自信のない筆者は、イケメンを前にすると引け目しか感じない。
ある暑い日曜日、重い足で面接へと向かった。
イケメンを前に気張ったと思われぬよう、衣装はカジュアルに。
待ち合わせ場所に着いた途端、それまで暑さでにじんでいた汗が冷や汗へと変わる。
超イケメン。
すらっとした長身に端正なお顔立ち。
モデルや俳優を生業としてないのが不思議なくらいのクオリティ。
あぁ。帰りたい。
パン屋さんでパンを買って代々木公園へ行こう、というなんともほっこりな計画であったが、当日は酷暑。
代案として選出しておいたビストロへと行き先を変更する。
筆者は相変わらず変な汗が止まらない。
しかし、O氏は落ち着いた口調で淡々と話すお方。
それもあってか、筆者もだんだんと慣れて、落ち着きを取り戻した。
共通の話題が豊富なため、自ずと会話は弾む。
共通の知人。互いの仕事。旅行。
重なる部分が多いだけではない。
どこかのせっかちな歯科医師とは違い、テンポが心地よい。
このお方がイケメンでさえなければ…
そんな思いがよぎるが、どんなに眺めても綺麗な顔。
ぼーっとO氏の顔を眺めていると、話題はにわかに婚活へと移る。
O氏「筆者ちゃんはなんでアプリで婚活してるの?モテそうだよね?」
筆者「え!?どの辺が!?全くモテないんですけど笑。」
O氏「やっぱり東大ってきくとみんな引いちゃうのかなー。でも、僕たちくらいのバックグラウンドの人にはモテるでしょ?」
どう見てもモテないでしょうよ。
イケメンのリップサービスほどつらいものはない。
筆者「Oさんはなんでまたアプリで婚活を??」
O氏「僕、仕事が忙しすぎて一回婚期逃してるんだよね。そろそろ落ち着いて結婚も考えなきゃと思って。」
筆者「アプリやってみてどうですか??」
O氏「圧倒的に女性が余ってるって印象。みんな必死で、そこまでさせることになった、現代の日本男性ダメだなと思った。自分含め。」
一般的に、この類のアプリは女性優位と言われている。
見目麗しい女性に近づくために男性が必死に食らいつく。
O氏に限っては逆らしい。
筆者「まぁ、女性にはタイムリミットありますからね。みんな必死ですよ笑。Oさんのお眼鏡にかなう女性いました??」
O氏「まず、頭いい人じゃないとだめなんだよね。普通に会話できるレベル。あと、そこそこ美人。」
そこそこ美人。
一次面接に至った筆者は、このO氏の“そこそこ美人”の要件を満たしたということなのか?
しつこいようだが、筆者は容姿端麗でない。
学力の偏差値は70でも、顔面偏差値は40台と自覚して生きてきた。
O氏の足切り偏差値は40なのか。
そこであることに思い至る。
朝日新聞の特集「人は見た目が何%?」において、いつぞや専門家が述べていた。
人間は、その集団において平均的な顔を美しいと判断する。
平均から外れれば外れるほど、そこに病的な要素を感知するから。
筆者に関心を示してくださる方は関西以西の方が多い。
四国、九州、海外。
逆に北関東以東の方は皆無。
ちなみにO氏も例に漏れず福岡出身。
筆者はLiLiCoに似ていると言われる。
ラテン系九州男児に“濃い顔”と評されたこともある。
そうか、筆者の顔立ちは関西以西において、平均に近いのかもしれない。
南関東では平均から外れ、偏差値40台。
しかし、顔立ちのはっきりした西方では偏差値60近く。
美的感覚の地域差を感じざるを得ない。
冒頭の余談のつもりが長くなってしまった。
本題は改めて。