笠井潔の「探偵小説と記号的人物」を読んでいたら、疑問が文字化されていた。われ得たり、と小膝を叩きたくなりましたね。
スティーブン・キングと言うストーリー・テラーがいる。今は語られませんが、村上春樹はキング推しが凄かった。トラウマとは、語り得ないが語る。どうしても言えないこと以外を語る。
論は、戦争の影響が齎したものとして探偵小説(その特有の形式)を語っていて、長年の疑問が氷解しましたね。真に迫っているような。
最近、アーネスト・ヘミングウェイの「河を渡って木立の中へ」が翻訳が出ましたが(新潮社は凄いですね、圧巻)、戦争と言う背景を持っている。
横溝正史の戦後の数年の作品、「本陣殺人事件」からの超傑作は、戦争を背景に持つとは当たり前過ぎて見えていませんでしたね。
スティーブン・キングの「キャリー」が1974年刊行、「シャイニング」が1977年刊行、本人が第二次世界大戦後生まれで、あの特異な作品群と超饒舌調がベトナム戦争中から戦後となる。恐怖小説を近代小説にアップデートした、と言う評が良く見受けましたが、ならばなぜ村上春樹は恐怖小説(あからさまな)を書かないのか、と疑問が湧く。明らかにキングの影響を受けているが、恐怖小説だから、が答えではない。
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村上春樹が、カート・ヴォネガットの「スローターハウス5」の語りさながらに「風の歌を聴け」を書き、「羊をめぐる冒険」ではレイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」の枠組みを使いながら、羊男登場と言う飛躍にいたり、「ノルウェイの森」はバブル期に高度経済成長期で政治の季節だった時期をまるで世に喧騒ない、まるで平成中期のミニマリストのような世界にして描く。語り得ないこと以外を描く。村上春樹にとって70年代は戦後だったのではないか。東アジア・太平洋戦争のではなく、全共闘運動の、反復された昭和維新の。
「羊をめぐる冒険」は、なぜか「長いお別れ」と言うよりは横溝正史の「悪魔が来りて笛を吹く」が透けて見える。
