パソコンはともかく、携帯電話が齎したものは多くありますが、小説に電話(置き電話)が出てきたり、置き電話を前提とする設定があると、古い、と分類されてしまう。

北方謙三さんが、所謂時代小説に向かい、自由を増し、傑作を生み出したのはハードからの制約を無視出来るかが故でしょうね。後醍醐天皇成吉思汗梁山泊は携帯電話とは無縁の存在。

日本の80年代は作家は意識しまいがしょうが国家の勢いを背負っているので、他の時代と区別がついてしまうが、新しいのにも拘わらず、アナログだと言う特長がある、デジタルではない。

20年代の、探偵小説黄金期は未だに凌駕出来ない。シャーロックホームズの余波は、アガサ・クリスティ、エラリー・クイーン、数多のレジェンド作家を生み出す。未だに読むことが出来るのは、携帯電話がなく、監視カメラもなく、アナログそのものの社会の話だとわかっていながら読むから。話の骨格はまるで変わらず、所謂トリックは百花繚乱。全盛期。

今の話

と書かれていたならば、携帯電話がなく、インターネットを使用できない、しない、納得のいく説明が必要になる。


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