経済が活性化していると、共同体は弱まる。逆もしかり。近くに巨大市場が生まれると、共同体は動揺し、統合の幻想が生まれる。国民国家と呼ばれる姿を採る場合が多いが、王政に近い共和制を採ることも。市場が活況を呈すれば共同体は無意味、単なる生誕地に格下げされ、更に故郷となるが、市場が成熟すると市場原理が相対化されるので、記号としても生誕地、共同体は意味を持つ。

60年代に三島由紀夫大江健三郎の作品の前景に天皇を出、松本清張も「昭和史発掘」で天皇を逆照射している。

昭和中期の精神たる司馬遼太郎が只管定説の強化をしていき、当時はリアリティの極み、現実的とされた記述がロマンになっている。市場性に適した作風が共同体が蘇り地域性が活性化している現在では何やらリアリティを失い、小説として存在している。当時はドキュメンタリーに近い感情すら持てたにも拘わらず。


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