気づけば、気づかなくとも、時間は過ぎていき、実りや、無為の跡が残り、茫々たる過去が残される。渡部昇一さんの「人間らしさの構造」を読んで読んで、「知的生活の方法」を読んで読んでいた。

自分の内側からの好みやら衝動に耳を傾ける、澄ます。適応と言う課題がある。自己と社会との折り合い、葛藤なくして自己実現はできない、と。

最近良くわかる気がしますね。ただただ適応し、生活力逞しくするだけの生活はしてきませんでした。今の生活にはキチンと自己の志向やらキャラクターが刻みこまれている。人生という要素と日々の生活は二律背反ではありませんが、学生の時には個性的で、社会に出てからは年数ただただ生きてきました、せわしなくしていました、とはならなかった。常に葛藤、怒り、焦燥に苛まれ、過適応とのバランスを取り続けた。個性を伸ばす、適性を尊重する、と言う今どきの風潮は無いが如しの過去からずっと。自分の好み、声を押し殺したことは少なかったのではないか、その分、我慢の連続、それこそ折り合い、妥協点、打開策、ブレイクスルー、時代の変化を待つ、が幾度となく、繰り返されたわけですが。


※本文とは関係ありません
寿司ですね