昨今気分を害される害さないようにする、を基準にしてもさして違和感はないでしょうね。

かつては、物を減らさない、大事にする、が長らく基準で、企業活動絶対上司絶対が長らくあり、と。

大量生産大量廃棄が当たり前だったのが、食品ロスを問題視して、幾らか廃棄に歯止めがかかり、常識が変わりつつある。賞味期限の表記緩和辺りが潮目か。24時間体制も見直し傾向が出、不夜城を目指す傾向は消え、支える人的な圧力もない。

豊臣秀吉による対外膨張策が終わり、徳川家康による再編成が起こる。豊臣秀吉が体現していた時代が変わる。百姓が源平藤橘に並ぶ名前を下賜され、関白太閤となる時代。徳川家康となれば征夷大将軍で極めてオーソドックス。溢れる人口と言う背景がある。溢れる人口、それを支える体制が織豊時代、溢れた人口が行き場を失っていくのが徳川初期。浪人となり、あぶれ、豊臣にかつての高度成長の幻想を抱き・大阪方になり、地方政権の担い手、欣求浄土のアンチロマンの徳川方とに別れる。分けるべき領地がある時代と、無い袖は振れない時代。銀山の発見で成長はありましたが、中期までにあっという間に枯渇。

足りないものは珍重され、溢れているものは浪費ざれる。


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迫りくる雲