最相葉月さんの「星新一」を読んでいると、何やらざわめく。

高校生の時に、星新一にはまった。短編集は勿論ですが、あの読み終えた時の、ハッと言う感じ、今どきならばアハ体験的なものは世のタブーに触れているような甘美さがありましたが、「進化した猿たち」と言うアメリカの、一コマ漫画を寸評した本が妙に気になりましたが。ちびりちびりと何度も眺めたり、読んだりと。

同時期J・D・サリンジャーの「ナインストーリーズ」「フラニーとズーイ」も読んでいて、未消化な読書体験をしていたんです。

J・D・サリンジャーは野崎孝訳の白水社の「ライ麦畑でつかまえて」が待っている、と言う段階になったんですが、星新一は忘れていました。


星新一は日本SFの創世記をその才能と熱意で彩り、安部公房との対比されるような存在だったようです。

小松左京が「日本沈没」「復活の日」「首都消失」と大作を、人気を、世に一石を投じ、筒井康隆が「幻想の未来」「虛人たち」「夢の木坂分岐点」「パプリカ」「聖痕」と文藝とエンターテイメントを往来し、人気作家となっていき、大江健三郎とクロスオーバーした時期すらあった。筒井康隆が大江健三郎の「同時代ゲーム」「『雨の木』を聴く女たち」を論じた文は圧巻。


短編集だと阿刀田高が、ショートショートの大家となっている。


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