小池真理子さんの「ナルキッソスの鏡」を、エイヤッ、と勢いをつけ読んでみた。長い間、積んであった。所謂積ん読。


ナルキッソスだから、美少年が出、読むとすぐに、「サイコ」と「悪魔のいけにえ」が透けるを通り越し、舞台を日本にしただけでは、と少々焦る。アルフレッド・ヒッチコックとトビー・フーパー、それにシリアル・キラー、エド・ゲイル。典型的な「田舎は怖い」では?

江戸川乱歩がイーデン・フィリポッツの「赤毛のレドメイン家」を「緑衣の鬼」に変えた。舞台を日本にした違和感がかえって不気味となる。80年代ともなると、欧米とのライフスタイルはさほど隔絶さはなく、話を移植しても新鮮味、異化はなかなか出せない。


最終盤までは杞憂は的中し、大きく分けると2つの話が進行していくのですが、片方がかなりフラットキャラクターなメロドラマだなあ、と自分の読みの良さに感心し、結末もまさかの呆気なさ。

たが、最後の数ページから、淡々とした記述、後日話が、それぞれのメルヘンの悲劇的な終末を描く。痛々しく、極度に切なさを帯びた主人公達が、夢が潰える、哀しさ。夢の跡を終わる。夢を見ざる負えない、人はそれを妄想、いやっ狂気と呼ぶ、その痛々しさ、生々しさ。


※本文とは関係ありません

さすが、です。