人は、同じスタートライン、同じようなスタートラインから始まっても、時間がその人の運命を描き、人生を描く、描いてしまう。
呵々大笑ならば、を望んでも、大概は、紆余曲折、山あり谷あり、そこそこ、これまでを味わう。悪い事ではない。
同じスタートラインにいた、と認識している人物がいて、華々しい活躍を見る、聞く、おめでとうと思えればよいが、比べて、俺は?と怒りが湧くとどうしたものか。
人の人生を生きるわけにはいかないが、あいつに比べ、俺の現況はなんだ、と言う嫉妬やら怒りは出口がない。
そう言えば、俺には、ああ言う妨害・困難があった、と思い出し、だから、今うまくいってないんだと言う感情の出口を見つけた時に、それは被害者としての自己規定となり座りが良い。正当でもあり、当たり前でもある。座りが良いとはなにやら正解であり、正しく、正当であり、奪われた得られる筈のものを取り戻す!
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残念ながら、(?)、戦後、日本はアジアから加害者として見られても加害者には戻らず、アメリカ合州国、ソ連には被害者と言う側面はありながら被害者には甘んじなかった。過去は忘れたかのように振る舞い、加害者としては憲法九条を改正はせず再軍備し、被害者でありながらアメリカ合州国に対して戦争犯罪を告発する事には熱心ではなかった。
日本はいち早く復興した。
※本文とは関係ありません

いただきました。