以前、未来を失ったのが、鬱病、過去を失ったのが境界例、と書かれていました。


三浦雅士さんが、昭和中期の文学を「メランコリーの水脈」で採り上げていました。


ほとほと、分かるのは、何でも習慣だと言うこと。未来志向がないのは、過去に想定した過去からの流れの中断が致命的で、自力でどうにか出来たはずだと言うかなり真面目な規範意識、過去が無いとすれば今までの、歩みの否定。いいも悪いのある宝の放棄。


未来を考え抜いても、過去を考え抜いても、時間だけ流れていく。冷徹と言うか当たり前。


※本文とは関係ありません

伊勢丹新宿