司馬遼太郎と村上春樹


国民作家と呼ぶべき作家。


何も似ていないのに、なぜか似ているような。


谷崎潤一郎が戦中、「細雪」を書き継ぐ。

戦前の関西のブルジョワの物語。

「蓼食う虫」「瘋癲老人日記」もそうだが。


古き良き時代を描く。


村上春樹は、80年代に、80年代にならなかったはずの世界を描いていた。

村上龍と言う存在がある。見事に同時代を切り取っていた大変な才能。「限りなく透明に近いブルー」「海の向こうで戦争がはじまる」「テニスボーイの憂鬱」。対極。

村上春樹はいよいよバブル期に入ると海外へ行き、「ノルウェイの森」を発表。「パン屋再襲撃」「TVピープル」。更に「国境の南 太陽の西」、更にバブルと言う思想を探るかのように「アンダーグラウンド」。


東アジア・太平洋戦争とバブル。

渦中にいつの間にか、の大きな流れ。


帝国主義から敗戦、高度経済成長からバブル崩壊、世界の、潮流を、見事に捉え、極大化し、破滅、崩壊。

渦中を捉え方が、渦中が始まる前を描き、渦中後を捉える。


司馬遼太郎ならば、「妖怪」が「菜の花の沖」に。

村上春樹ならば、「中国行きのスロウボート」が「色彩を持たない田崎つくるの巡礼の旅」に、と行ったところか。


※本文とは関係ありません

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