三津田信三という才能に驚く。

横溝正史がダークロマンとも言うべき「村」を「本陣殺人事件」で発見し、その後は歴史的、超絶な作品を世に送り出す。「獄門島」「犬神家の一族」「八つ墓村」「悪魔の手毬唄」「悪魔が来りて笛を吹く」

「本陣殺人事件」に至るまでの作品は耽美で、「真珠郎」辺りは、設定の構築があり、「くどさ」がありますか、戦後は物語を複雑にしても背景は、因習の残る村と分かりやすい。のびのびと、超絶な世界観が描かれている。


三津田信三さんの本が昨年から目に飛び込んで仕方なく、何から読んでいいのか分からなかったんですが、やむおえず、「犯罪乱歩幻想」から読んでみた。驚く。「屋根裏の同居者」。

本を読んで、ビクリとなったのは、高木彬光の「刺青殺人事件」「人形はなぜ殺される」、貴志祐介の「黒い家」くらい。めったにない。


それから、原書房の素敵な想定の刀城言耶シリーズ。

「首無しの如く祟るもの」

を読んでみることに。

これは読み飛ばしてはいけない、と本能的に思い、メモを取り取り読む。

一文字一文字ずつ読み、小説世界を構築し、あからさまに提示してあるデータが盲点を作っていく離れ業。

お見逸れしました、と。

引っこ抜かれ、なるほど〜、としばし茫然。

本の最初に戻り、書いてあるなあ、と唸る。

フィリポッツの「赤毛のレドメイン家」を引くまでもなく、推理小説は設定となる前半から中盤までがしばし退屈と言う傾向があるのが免れていて、作品に驚くしかない。

「戦後」「村=因習」を今に蘇らせている。

因習=習慣=環境を、見事に見立てていて、その両義が肝、トリック、カタストロフィとなる。

それが、完全な創作。


「密室の如く籠もるもの」、「巫死の如く蘇るもの」に至ると誠に傑作。

嵌りますし、いつも氏の作品を肌身は離さなくなっている。


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