最近、知り合いになった若い友人は、京都大学を卒業していて、長身、並桁外れた運動神経に、判事のガールフレンドがいて、詩を諳んじ、目黒蓮似の甘いマスク所謂イケメン、起業家、そしてクリアと言う言葉が自然に浮かぶくらいの聡明さがあり、滲み出る性格の良さ。
彼の個性は、
ハイスペック
だなあ、と感心しました(笑)
大谷翔平は、毎試合、「普通の人が」出来ない筈の事を、いとも簡単に為している。あれだけの超絶プレイ、超長距離移動、英語、ユーモア、ハンサム、グッドプロモーション。
個性です。
癖だけが、個性ではない。
近代は、工場勤務を想定した社会。個人はマス、となる事を求められていた。
分かりやすいのは軍隊。個性はいらない。ほぼ同質の言語理解(指示がわからない、は命取り、作戦ミスは部隊の生存に係わる)、ある程度の身体能力、そしてミスをしない事。所謂普通が、ないと運営出来ない、個人の解釈はいらない、階級が上の人が「考え」、それに従う事だけが求められる。
近代が終わるとは、普通がぼんやりとしてきて、超絶、未達が、でてくる、正確に言うなられば、見えてくる。普通の縛りが緩んでくる。
寛容
受容
と言うか。
※本文とは関係ありません
家で、担々うどん
どれだけ、担々したいのか(笑)