産まれてくる前から世界は、常識的には存在する、既に世界は存在していた、と分かり、影響を受ける。
確かに、自分が世界に影響を及ぼしているはずだが、それはなかなか自覚出来ない。自覚が齎す未来への予感は存在を不安にしないのか?
気づけば、大江健三郎さんの、本があった。
村上春樹さんの「ノルウェイの森」に、大江健三郎と言う名と性的人間と言う書名を見た時には、既に知ってはいたような。
「死者の奢り」を読み、「飼育」を読み、「芽むしり、仔打ち」を読み、としていたら、「同時代ゲーム」にぶつかり、よく分からなくなり、「『雨の木』を聴く女たち」を読んだりしていたら、「万延元年のフットボール」「我らの狂気よ、生き延びる道を教えよ」「空の怪物アグイー」を未消化でいたら、ある日見つけた「懐かしい年への手紙」を読んだら、一気に繋がった。
最近になり、恐る恐ると言うべきか、「水死小説」「取り替え子」を読み、大江健三郎調とも呼べそうな終章を堪能し、と。永らく氏とのお付き合い。
いつの間にか、何時までも、か。
ご冥福をお祈りいたします。
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高田馬場