文学に、作者を見、作者の事を、私事を告白している、と見える仕組みが、日本文学の王道だった。谷崎潤一郎は王道で、江戸川乱歩はアウトだったのは、この仕組みのバイアスがある。推理小説と言うジャンルが長らく好事家のものだったのは、感情移入は出来ないがやたら面白い。
シリアスが偉く、面白いだけはアウト、だったわけで、グレアム・グリーンはいいけれども、ジェフリー・アーチャーは駄目となる。
バーチャルリアリティと言う概念。
文学には現れたのは、リアリティの意味が薄まり、魂の叫び、のような、情熱の発露、のようなものは後退し、刺激。
音楽でも、歌謡曲が後退し、演歌が消滅し、聞き心地勝負となる。一緒に歌うから、乗れる、へ。
感情から思考へ、ハートからヘッドへ。
リアリティの消滅が、言葉を軽くし、ポップ、大量消費を可能にした。感動から感激へ。
死への墓碑銘に向かった太宰治、人間失格、結論が作者の死、夏目漱石、明暗、芥川龍之介、歯車、三島由紀夫、天人五衰、から、村上春樹へ。ひたすらの感情・感覚との対話。村上春樹が推しするのが谷崎潤一郎の、細雪。さもありなん。
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