こういう方法があったんだ、と今更ながら驚く。いずれも言わずと知れた。
鍵山秀三郎さんは、言わずと知れたイエロー・ハットの創業者、と言うより掃除道の伝道師と呼ぶべきか。掃除、と言うものに光を当てる。意外。灯台下暗し、と言うか意識外。
「今日は誰にも愛されたかった」(ナナロク社刊)
谷川俊太郎さん、岡野大嗣さん、今をときめく木下龍也さん、の合作、共作(?)
昨年、親友とかなり年下の友人との土曜日の昼間、高田馬場のコットンクラブで、谷川俊太郎について語る、と言う超レア体験をし、僕は大江健三郎さんの「万延元年のフットボール」の中で谷川俊太郎さんの「手紙」の中の、鳥羽、本当のことを云おうか、に作品が押し出されていることに衝撃を受けたり、氏の「世間知らず」を繰り返し読んでいたと話すと、その若い友人は、鳥羽を諳んじる、と言う離れ業、更にフェイバリットな詩、「20億光年の孤独」から、ポツリポツリと次々に諳んじ、感激したもんです。さすが京都大学出身(関係ないか・笑)
それで、詩です、短歌です。
木下龍也さんは、あれです、「情熱大陸」。
まさか、自分が短歌を読むとは。多少、齋藤茂吉には、赤光には興味がありますが、現代歌人に興味を持つとは。
詩はまさにそうですが、日本語と言う極めて身近、使い慣れている、勝手がよく、逸脱はあり得ない代物が、詩人の手にかかると、正確には、お気に入り、安全に異次元に、異界に誘ってくれる存在の言葉選び、配置、勿論文が齎すイメージが、たまらない訳で、揺さぶられるわけで、必ず大丈夫だから、と誘われ、確かに大丈夫なんだけれども、いつも未知にさらされ、或いは既知は未知と言う正体を露わにしてくれる。誘う、喚起する力を言葉が持っている事を知っている方々といる喜び。言葉と言う道具、いやっ宇宙のどこかを弄くり返してくれるおかげで、固定し、固執している世界観が、心地良く揺さぶられる。言葉の贅。
詩と、短歌が、嬉しい一冊。
気分転換に、ちょっとしたストレス発散に、眼の保養に(?)